【いなり寿司】東は小ぶりな俵型、西は大きめ三角形
「いなり寿司が生まれたのは1800年代の尾張の国(名古屋)との説があり、最初はシャリの上に油揚げをのせた長細い形だったようです。それが食べやすい形になって、江戸では当時のファストフードとして流行したのです」
というのは前出・横井さん。東西の形状の違いはどこから来ているの?
「関東では、“いなり=稲荷”と表記されるとおり、お米の荷を意味する俵の形をしています。一方、関西では“お稲荷さん=狐”であり、神様のお使いとされている狐の耳の形を模して三角形になったなどといわれていますね」
味つけをした油揚げの中に詰めるものも、関東では酢飯のみだけど、関西ではゴボウやニンジンなどの入った五目飯。
「関東の料理は、江戸時代に早く大量に作るため簡略化されたものが多いのです。ちなみに、いなり寿司は東西ともに、わさびじょうゆをつけて食べていたとか」
【ちらし寿司】煮ても美味しい、生でも美味しい
『ちらし寿司』の語源は、ご飯の上にさまざまな具を“散らす”。関東では江戸前にぎりと同様の魚介類をすし飯の上にのせた『江戸前ちらし』と、細かく切ったネタをバラバラに盛りつけた『バラちらし』と区別することもある。
関西では地域や各家庭で異なるが、酢飯の中にシイタケやニンジン、レンコン、タケノコ、インゲンなどを彩りよく混ぜて、錦糸卵やゆでたエビ、焼いた穴子などをのせることが多い。
「素早い輸送手段がなく冷凍保存の技術もなかった時代ですから、海が近くにあり、生の魚が食べられる関東に住む人々は非常にラッキーでした。京都などは海が遠かったため、魚介類は蒸したり焼いたり干したりして、保存性を高めなければならなかったのです」(横井さん)