「お父さんと巧丞くん2人と面談をし、転校するかもしれないという相談を受けました」
おかしな様子はなかったと校長は言う。だが、不穏な影がそこにはあったのだ。
巧丞くんが、教室の自分の机の中に、メモを残しているのを担任が目撃。同日中に校長へ報告したという。
校長は、もう手元にないため明確に答えることができませんが、と断り、
「気持ちとしては一緒に卒業したかった、ということが書かれていましたね。転校の話をしていたので、気持ちは一緒にいるという意味だと思いました」
そのメモを見たという人物は、そこに書かれていたある言葉にSOSを感じたという。
「“卒業式まではいられないけど、魂としてはいる”と書かれていました。“魂”という言葉に込められた異変。見逃しが悔やまれます」
面談後の週明け12日の月曜日は欠席の連絡があり、その翌日は無断欠席。14日に遺体が発見された。前述のように自宅には、3通の遺書が残されていた。全国紙記者が明かす。
「2通は巧次さんと巧丞くんの思いをパソコンで打ったもので、もう1通は巧丞くんの自筆のもの。父親は、親権を争ったことへの不満をつづり、巧丞くんには生きろと伝えたが、巧丞くんの強い意思から、一緒に連れて行く、という旨も記されていました。パソコンで打った巧丞くんの遺書は、父と離れることが嫌だという思いがあふれる内容でした」
巧丞くんの自筆の遺書には、親権争いに巻き込まれないように父方の祖父母と養子縁組した姉への思いが、つづられていたという。
「お姉ちゃんが希望の星、お姉ちゃんに僕の人生をあげるということと、学校に対しても、転校してきた僕を世話してくれてありがとう、ということが書かれていました」
わずか10歳で終えた命。テストでこんな結果が出たと児相担当者が明かす。
「巧丞くんの知能テストは、まれにみる高い数値だったんです。自分で自分の人生を切り開いていける力がある子でした。それだけに残念です」
巧丞くんの姉は12歳。弟の死を、姉への思いを受け止めるには幼すぎる。