医療人類学を専門とする明治学院大学の柘植あづみ教授は、法律の不備がトラブルを生んでいると指摘する。
「海外では今回のような問題が30年以上前に起こり、生殖補助医療に関する法律がほとんど定められています。日本でも法律は必要です。日進月歩の生殖医療には法律だけでは不十分で、医師や患者だけでなく一般の人々にも生殖医療に関心を持ち、議論を深めることも大切です」
表面化したのは初めて、という今回の奈良家裁の事案。元夫は事前に病院へ連絡をするべきだったという指摘も。
「自分の遺伝子を使った受精卵が残っているということを考えれば、責任が問われる可能性を理解しておくべきです。これは今回の男性に問題があるわけではなく、社会の意識が低いことが問題です」
と菊地先任准教授は受精卵への責任について指摘する。
冒頭に触れた裁判の行方を『弁護士法人・響』の徳原聖雨弁護士は、
「生物学的な親子関係と法律上の親子関係は違い、民法では婚姻中の夫婦の間に生まれた子どもは、その夫婦の子どもであると推定することになっています。現在は離婚しているとはいえ、男性側の主張は認められないのではないでしょうか。賠償額についても、過去の判例に照らし合わせて考えると、100万円から200万円程度になるものと予想します」
とはいえ、司法の判断次第では、子どもが法律上の父親を失うこともありうる今回の裁判。親の身勝手な思いが、子どもに深い傷を負わせることにもなりかねない。
40年以上、生殖補助医療に携わり、夫婦の喜びや苦悩を目の当たりにしてきた前出・吉村名誉教授は、不妊治療がもたらす現実に今も思い悩むことがあるという。そして静かな口調で、こう訴える。
「子どもをつくるということはどういうことか、医療者にも夫婦にも国にもよく考えてほしいと思います」