みんなに、俺みたいな遺族になってほしくない
かさ上げ工事や防潮堤建設が進む岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)。震災当時、200人以上が避難し、津波にのまれて死亡した防災センター跡地に美容師の片桐浩一さん(47)は立っていた。
『震災メモリアルパーク』の設置予定地でもある。
「面影もないし、風景も変わりました。ここだったのかな」
妻の理香子さん(当時31)も防災センターに避難し死亡したひとりだ。隣接する鵜住居幼稚園の臨時職員で、幼稚園に残っていた園児とともに避難。もうすぐ生まれるはずだった陽彩芽(ひいめ)ちゃんを身ごもっていた。
悲劇や教訓を伝えたいと、防災センターを残してほしいと願ったが、市は震災から3年目を前にした14年2月、解体した。’19年、ラグビーのワールドカップで、鵜住居地区に建設中のラグビー場が試合会場となる。JRも開通予定だ。
「ここを訪れるきっかけとしてワールドカップがあり、(被災地として)認知が広がるでしょう。ただ、いずれは遺族だけの場所になるのではないでしょうか」
避難行動をめぐって、裁判も起こしている。すでに結審しており、4月に判決を待つだけだ。
「みんなに、俺みたいな遺族になってほしくない。教訓は残したい」
一方、震災の日は美容室の開店記念日でもある。今年は20周年。イベントを開いて震災後、初めて髪を切る。
「あの日のままでいたい」
と言っていたが、
「復興ムードの中で自分の気持ちとのギャップも感じてきました。髪を切ることは過去を断ち切る意味もあります。心の中にはいろいろありますが、これまでの気持ちは封印します」
震災に遭い、被災後をどう生きてきたのか。今だから聞ける「記憶」がある。
<取材・文/渋井哲也>
ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。新著『命を救えなかった―釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)が3月8日に発売