「母親が病弱なので、妹と親父が実家で母をサポートしていたんですが、妹が当時つきあっていた男性と結婚をしたいと言い出したので、僕が実家に戻ることにしたんです」

実家に戻ってみると、母親は想像以上に手の焼ける状態だった。感情の浮きしずみが激しく、朝布団から起き上がれない日もある。調子がいい日も外には出たがらず、家事はほとんどしない。病院では、「うつ病」と診断された。

「僕も父も妹も、それぞれ仕事があるのに、家族みんなが母親に振り回されてヘトヘトになっていました」

 そんなある時、母親が薬を多量に飲み自殺未遂をした。

「医者からもらってきた薬を、飲まずに少しずつ貯めていたようなんです。“お母さんとお父さんのところに行きます”と鉛筆で走り書きされた遺書が枕元にありました」

 幸い発見が早く、一命はとりとめた。

「家族がしっちゃかめっちゃかですよ。僕は相変わらず仕事が忙しい。でも母のことは放っておけない。妹は“こんな状態じゃ結婚できない”と、結婚を先延ばしにした。この時“家族って大変だな”って。母親が落ち着いたら妹を結婚させて、もう自分は結婚しなくてもいいやと思った」

 一呼吸おいて、祐一は言った。

「子どもの頃は旅行をしたり河原でバーベキューしたり、仲のいい家族でした。大学まで行かせてもらったし、両親のことは尊敬していました。だけど、“これだけ家族を振り回して迷惑をかける母親ってどうなんだろう”と、その時は正直母親が疎ましかった」

 そこから1年後、妹は結婚をして家を出ていった。父と祐一が母親の面倒をみるようになったのだが、あるとき父が言った。

「お父さんが仕事を辞めてお母さんの面倒をみるから、お前も自分の人生を考えろ。誰かいい人はいないのか。結婚して家庭を持て」

 祐一は、「今はそんな相手はいないから」と、その時は言葉を濁したが、内心結婚をしたいとは思えなかった。

「夫婦って、運命共同体なんだなって」

 そんな祐一の考えを変えたのは、会社を辞めてから母を献身的に看病する父の姿だった。

「親父は頑固者で、かつてはよく母とぶつかっていました。そんな親父が、かいがいしく料理を作って母親の部屋に運んだり、洗濯したり、風呂掃除をしたり。ちょっとカッコつけた言い方すると、“夫婦ってどんなときも寄り添う運命共同体なんだな”って思ったんですよ。“病気になったり年老いたりした時に支え合えるパートナーがいるっていいな”って。もう一度結婚について真剣に考えてみようという気持ちになったんです」

 献身的に母につくす父に夫婦のあるべき姿を見いだし、「結婚したい」と思った祐一だったが、いざ婚活をスタートさせてみると、お相手選びの仕方は他の男性たちと変わらなかった。