「稲田氏の言い分は、10数年前のことを突然聞かれたので記憶を頼りに答えたら間違ってしまったというもの。普通は、記憶が定かでないことは調べてから答えますよね。国会の大臣答弁としてはいかがなものか。ウソがばれたときに“あれは推測でしゃべったものでして……”で通ったら、何でもありになってしまう。今後の答弁に信頼性がおけなくなったのがいちばんの問題だと思いますね」(須田氏)
稲田事務所に取材を申し込むと──
そもそも、稲田氏と籠池氏の接点はどこにあったのか。
稲田氏は籠池氏について「10年ほど前にたいへん失礼なことをされたから、私からは関係を断っている」と話している。籠池諄子夫人は約2年前に対面したとして「私はあの人(稲田氏)嫌いだから話していないけど、園長(籠池泰典氏)は話していましたよ」と述べたとされる。
「稲田氏の実父は文学青年で、京大を卒業して教員になりました。関西では有名な草の根保守の人で、もっといえば活動家です。つまり、父親の影響を受けているんです。父親は保守的な運動をしていたこともあって籠池氏と交流があり、娘の稲田氏が弁護士になったので顧問弁護士を務めるようになったんです。稲田氏は、米国に骨抜きにされた戦後はあるべき姿ではなく、美しい日本は戦前の体制の中にあったと考えているんでしょうね」(須田氏)
大臣発言は重い。思想・信条の自由はあるにせよ、先に述べたように大臣として教育勅語を賛美するような発言は問題といえる。少なくとも、いいかげんな記憶で答弁するようなことは2度とあってはならない。
稲田事務所に取材を申し込むと、質問を文書にしてファクスで送れという。
質問は2つ。なぜ事実確認してから答弁しなかったのか。大臣の資質を問う声があるが辞任する考えはあるか。
しかし、期日までに回答はなかった。事務所に催促の電話を入れると、折り返し担当者から電話が入り、「今回は回答なしで結構です。理由はとくに……」と歯切れが悪かった。なぜ、こんな簡単な質問にも答えられないのか。
100万円の寄付金をめぐる籠池氏と安倍首相の言い分は完全に食い違っている。新事実が出ても、安倍首相と稲田防衛相の脇が甘かった事実は変わらないだろう。