一方、社会システムにおいても、女性にきちんと配慮がなされているんです。経済活動、社会活動、政治活動において、女性だからといってはできないことはないわけ。むしろ、児童虐待をした親の問われる罪や、痴漢の冤罪などの点では、女性が優遇されていると言っていいくらいです。

 世界経済フォーラムが発表した“男女平等ランキング”で、日本の順位がG7のなかで最下位だったことを受け、日本は男尊女卑だと主張をする方もいらっしゃいます。このランキングを見てみると、管理職や政治家が少ないっていうことが順位に作用しているみたいだけど、女性が高いポジションにいくことを社会のシステムが妨げているわけでは決してないんです。

 ただ一点だけあえて指摘するなら、女性が社会進出をしたいと思ったとき、家庭内の役割分担において、育児・介護・家事といった役割がどうしても女性側に押し付けられてしまうところは日本にはあると思うのね。生物学的な役割分担が根強く残っているというところ。

 とくに嫁姑間で、お姑さんがそういった家事労働をお嫁さんに押し付けるよう仕向けている側面がないとは言い切れません。

 だけど、やはり性差は消せないものです。冒頭で永遠のテーマだと言ったのは、男女格差を考えるとき、男女のあいだにはどうしても平等にはなり得ない、この性差の問題が根底にあるからなんです。よく勘違いしている人がいますが、男女格差の対義語は男女平等ではないと思うんです。

 男女関係において最も重要なのは、性差ゆえ、男女平等にならないことを受け入れ、その上で効率の良い役割分担を考え、お互いを尊重し、支え合っていくことではないでしょうか。

《構成・文/岸沙織》