彼女の場合、自分のスタイルを維持するために母乳をあげないということのようですが、彼女にとって商売道具なわけですよね。自分の仕事に合わせたうえでの選択、決断なので、これも責められるものではないと思います。
最後に、娘に料理を作らないということ。日本人は学校にお弁当を持って行きますが、私の場合、お母さんはお弁当の作り方がわからなかったので、部活のときなど小学生の頃から自分でお弁当を作るようになりました。だけど、そのことでお母さんを嫌いになるなんてことはありませんでした。
お母さんがお弁当を作らなかったからといって、それが子どもの成長の過程でマイナス要素にはならないんじゃないかと思います。たしかにお弁当というのは記憶に残るものです。
だけど、いい思い出というのはもっと他にもありますから。お弁当は作ってくれなくても、精一杯色々とやってくれたということで、子どもにとっては十分なんですよね。
「母親は、子どもにとっていい母親であるべき」
世の中のお母さんたちを追い詰めているのは、いいお母さんになろう、ならなくちゃいけないという世間の目。お母さんたちは、“いい母親像”の押しつけによって追い詰められているんです。だけど、シングルマザーをはじめ、それぞれ環境が異なりますから、すべてのお母さんがその型に合わせられるわけではないです。
梅宮さんの育児論には、たしかに極端なところもあるとは思います。だけど、“いい母親像”に追い詰められそうになったら、ときには手抜きをすることも大事。いまのご時世、逃げ道はいくらでもありますから。
たとえば、ご近所さんと繋がらなくても、ネットワークで繋がることができます。過度に干渉されることなく、私生活は保護しながら、ネットワークを通してピンポイントで子育ての悩みを共有することができるわけです。無理に近所でママ友を作らなくても、育児を相談することのできるママ友は作れるんです。
紙おむつや粉ミルク、さまざまな制度、そしてインターネットなど、その都度多種多様な手助けを借りながら、自分に合った育児をしていけばいいんじゃないかな。
何よりお母さんというのは、それぞれの子どもにとってのいいお母さんであるべき。世間と比べる必要もなければ、世間一般が理想とする“いい母親像”に合わせる必要もないんです。
《構成・文 / 岸沙織》