「15年ほど前は、全日本選手権でも空席が目立っていました。'05年に真央ちゃんがグランプリファイナルを制したころから、フィギュアブームに。本田真凜選手などは、彼女に憧れてスケートを始めた子です。山田満知子コーチ門下の村上佳菜子選手や宇野昌磨選手も、真央ちゃんの背中を見て育ってきました」(スケート連盟関係者)
浅田を知る恩師らが当時を振り返る
浅田が引っ張る形で、日本のフィギュアはレベルが向上。彼女の母校でもある中京大学附属中京高等学校のスケート部部長・渡辺伸雄先生は、当時を振り返ってこう話す。
「彼女は、練習をこれでもかというくらい行います。天才だと語られることが多いですが、誰よりもたくさん練習をしていて、コーチに止められることがあるほど。試合でも“練習不足だった”と彼女が語ることは少ないです」
幼少期に通った名古屋スポーツセンターの堤孝弘さんも、
「目標をクリアするために努力を重ねることが楽しいと会見で話していましたが、楽しいと思えるのは目標が達成できるから。簡単に聞こえますが、誰にでもできることじゃないんです。いくら練習を重ねても、才能がなければ芽も出ませんからね。
才能があるうえに、休みがあるわれわれ職員よりも、リンクに通い、スキルを研鑽し続けた彼女は、努力を重ね続けられる本当の“天才”だったんです」
'10年から7年間指導に当たった佐藤信夫コーチにも彼女との思い出を聞いてみると、
「氷の上でガンガン練習をしたこと。これがいちばんの思い出です」
出てきたのは彼女の“練習”への姿勢だった。さらに続けて記者とのやりとりである。
─ソチのフリー演技の前に、どんなアドバイスを?
「たったひと言、“今まで自分が練習してきたことを信じてやってごらん。必ずできるから”とだけアドバイスをしました」
最後に、彼女にどんな人生を歩んでほしいかを聞いた。
「難しいなぁ(笑)。彼女が今後どんな仕事をするかもわかりませんが、幸せな人生を送ってほしいなぁと。それが彼女にとっていちばんいいと思いますし、それ以外に何も思いつかないです」
ファンの思いもまったく同じ。これまで多くの人々に感動を与え続けてくれたのだから、今度は自分の幸せだけを追ってほしい。