最後の最後に訪れる破滅と救い

 さて、繭子は取り違えをした直後から後悔の念に苛まれ、何回も告白を試みますが思うようにいきません。

 誰にも相談できず、他人の子と知りつつ育てる苦悩と、芽生え始める本当の母性。繭子は本当は郁絵の子である航太に対し“こうやってひとつひとつ成長していくところをこの目で見たい”と思いつめ、熱い涙を流すほど愛情を感じ始めます。このへんの徐々に真の母性に目覚めていくリアリティーある描写に関しては、

「繭子のパートの表現に関しては、赤ちゃんの匂いだとか、手をぎゅっと握られる感覚だとか、理屈よりも肌感覚を描きたかったんです。出産直後のホルモンバランスは、たとえて言うなら普段の生理がビルの高さなら、出産直後はエベレストの頂上ぐらいまで変わるもの。繭子の問題はそんな身体の問題からきたものでもあり、身体の変化が心の変化に直結していることも描きたかった」

 一方、理想の母親に見えた郁絵も葛藤がありました。

「保育士を続けるために、郁絵は子どもを保育園に預けてきました。けれど、そのわが子を手放さなければならないと知って、自分の中にある子どもの記憶があまりにも少ないことにガク然とするんです」 

 芦沢さんが複雑な表情で語ります。

「私も、子どもを預けてこの話を書いているんですよね。私自身が、“子どものかわいい姿を見逃している。子どもとの時間は限られているのに”と感じながらです。それでも書き続けずにいられない業の深さを感じています」

 著者自身がそう語るように、繭子と郁絵の悩みや負い目は、出産と子育てを経験した女性なら誰しもきっと抱くものでしょう。それゆえ繭子の過ちに怒りは感じても、“自分はゼッタイに彼女のようなことはしない”とは言い切れない自分自身に気づきます。本書を読んでいる自分自身を含め、完全なる悪人もいなければ完全なる善人、あるいは完璧な母親もいないことに気づくのです。

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 この“完全にはなりきれない人間”は、本書を貫く主題でもあるようです。

「繭子の夫にしても、彼は彼なりに子どもや妻を一生懸命愛しているんですよね。わかりやすい嫌な人がいるわけじゃないぶん、こうしたつらいことが起こったとき、お互いつらいなあというのがあると思います。

 本書に限らず、私が小説を書いていく根幹に“生きづらさと向き合いたい”という思いがあるんです。繭子は自分の弱さや生きづらさから道を間違えてしまいますが、間違えるのも人間なら、間違いや弱さに向き合うのもまた人間。人間の弱さや強さ、ずるさや優しさといった多面性を描きたいというのがあります」

 著者のこの言葉どおり、母性ゆえに犯した罪は、最後の最後で母性ゆえに破滅を迎えます。弱さゆえ犯された犯罪は、強さゆえ終わるのです。

 “これで本当によかったの!? このあといったいこの家族は……?”

 驚愕のラストに震え、そして考え込んでください。

取材・文/村名若菜

<プロフィール>
あしざわ・よう 1984年、東京都生まれ。小説家 推理作家。千葉大学文学部卒業後、出版社勤務を経て、2012年『罪の余白』で第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー(角川書店/KADOKAWA)。同作は、'15年に映画化された。'16年には『許されようとは思いません』(新潮社)が第68回日本推理作家協会賞(短編部門)と、第38回吉川英治文学新人賞候補に。