独特の声と心にしみる曲で多くのファンを魅了している稲垣潤一(63)がデビュー35周年を迎えた。最近はソロだけでなく女性シンガーとデュエットした『男と女』シリーズも好評で、さらに円熟味を増している。そんな彼が、ミュージシャンとして成功するまでの人生をたっぷりと語った──。

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「振り返ってみると、いろいろあって、長いといえば長かったけど、あっという間でした。デビュー前よりデビュー後のほうが人生としては半分以上になっていますからね」

 押しも押されもせぬ“和製ポップスのカリスマ”稲垣潤一は、今年デビュー35周年を迎えた。稲垣はこれまで、『クリスマスキャロルの頃には』をはじめ『ドラマティック・レイン』『ロング・バージョン』など数々のヒット曲を世に送り出しCMに起用された曲も数知れない。

 そんな彼が音楽にのめり込むようになったきっかけは小学生のとき。当時は小学生がレコードなど簡単に買える時代ではなく、曲を聴くことができるのはテレビやラジオの音楽番組だった。そして、洋楽となると圧倒的にラジオの時代だったといえる。

「'60年代、地元の仙台でもUKものやビルボードのチャートの曲を流す番組がいくつかあったんですよ。5年生のときでしたね。ラジオから流れ出るビートルズの曲に衝撃を受け、僕にとって彼らは特別の存在になったんです

 そして中学に入り、初めてバンドを結成した。

「卒業式の謝恩会が初めてのステージでした。ところがステージといっても場所は学校の図書室だったんですよ。渋いでしょ。ちょっとしたスペースを作ってもらってね」

 しかし、初ステージがすんなり実現したのではなかったことを、彼は最近になって知ったという。

「バンドをやっているのがカッコいいと思われる時代じゃなくて、白い目で見られるのが普通でした。ですからバンドの初披露ができたのは担任の先生のご尽力があったからなんです。校長先生は“絶対ダメ”と言ってたのを先生が説得してくれたんですね。その話は最近、先生にお会いしたときに初めて聞きました

 稲垣が先生に感謝しているのはもちろんのことだが、今の彼があるのは、このときの先生のバックアップがあったからにほかならないだろう。

 ところで、稲垣といえば、ドラムをたたきながら歌う“弾き語り”ならぬ“たたき語り”という独特のスタイルで知られるが、これはバンドを始めたときからだという。

「バンドを結成したとき、メンバーそれぞれが担当する楽器は買った者勝ちでした。ギターを買った人はギター。ベースを買った人はベース。僕はリンゴ・スターの影響もあってドラムをやりたかった」

 ドラムをやりたいと思っても、そんな時代に中学生がそうやすやすとドラムを手に入れることが可能だったのだろうか?

「仙台の駅前にクレジット(月賦)で買えるデパートがあって、そこの6階の楽器コーナーで真っ赤なドラムセットが売られていたんです。3万円だったかな。もう一目惚れでした。親をだまして買っちゃいました(笑)」