湊うさみんさん(37)のケース
ひきこもり当事者が作る雑誌『ひきポス』や、そのネット版でいつも「湊うさみん」という名前は見ていた。その鋭い感性に心惹きつけられることも多々あった。
うさみんさんは、ひきポス第5号の特集「ひきこもりと幸福」に、「幸せの定義」を寄稿している。彼は、母が更年期障害をはじめ、さまざまな病気になっており、テーブルの上に何種類もの薬が置いてあるのを見ると痛々しくて悲しくなると書く。父親のことは大嫌いなのに、つらそうにしているとかわいそうだとも。結局、家族や友人など、周りの誰かは必ず苦しんでいる。そういう人を差しおいて幸せにはなれないと言うのだ。
「私の定義では“周りの人なんてどうなってもいいよ。オレ自身が幸せならそれでいい”という残酷な人だけが幸せになれるのです」
そして、うさみんさんはそういう人にはなりたくない、だから幸せになれなくていいと言う。「不幸でなければそれでいい」と。そんなふうに書いている彼に、どうしても会いたくなった。
就活でトランスジェンダーを告白
うさみんさんの住む地域の駅で待ち合わせた。白いシャツに黒いパンツ、どこか中性的な不思議なオーラを醸し出す人が見えたとき、うさみんさんだとすぐにわかった。駅近くの静かで、おいしいケーキがあるカフェへと案内してくれる。その土地で生まれ育ち、兄はすでに結婚して家を出ていき、今は両親と3人で暮らしている。
「親の言いつけを守る“いい子”だったんです。初対面の人とうまく話せなかったりもするんですが、小学校3、4年生になるころには友達もできて、まったく不登校にはなりませんでした」
変化があったのは中学生のときだ。テニス部に入ったのはいいものの、1年生は球拾いや素振り、壁打ちくらいしかさせてもらえない。先輩が「絶対的権力」を発動するのを、不思議な感じで見ていた。
中学は小学校とはまったく違う。科目別に先生が代わることに慣れなかったり、彼のように先輩後輩の関係に疑問を抱いたりするのが躓(つまず)きの要因になることもある。ただ、テニス部をやめても彼は学校にはちゃんと行っていた。成績は「上の下くらい」だった。
「勉強する意味がわからなかった。一応、高校にも行きましたけど、意味が見いだせなかった」