歌番組が全盛の'80年代、誰もが憧れたアイドルたちーー。時を重ねても、その輝きは変わらない。今でもプライベートで食事をしたり、イベントで共演するという3人が集まっての座談会。読んだらあなたも、“GO TO '80”!!
“アイドル絶世期”ともいわれる'80年代。現在のようなグループでの活動は少なく、個人としてアイドルが光り輝いていた時代を駆け抜けた“スター”たちの中から今回、松本伊代(55)、大西結花(52)、西村知美(49)の3人が登場! デビューしたての10代、歌番組での思い出など、どんな話が飛び出してくる!?
“とりあえず10年”と
事務所に言ったら……
伊代「私、デビューが'81年だから、来年で40周年を迎えるんですよ」
結花・知美「おめでとうございます!」
結花「でも40年って、信じられないです……」
伊代「ねぇ、信じられないよね……。こんなおばさんになるまでこの世界にいるとは思ってもいなかったし(笑)」
知美「私、この世界に入ったとき、事務所の方に“とりあえず10年頑張ります”ってお話ししたんです」
結花「え、10年と具体的に言うことがすごい」
知美「そうしたら、“えっ? この世界に10年いられる自信あるの?”って(笑)」
伊代「あきれられちゃったんだ(笑)」
知美「2年目のジンクスって、デビューのときにすごく言われていて。私、映画出演と、その主題歌を歌ってデビューしたんですけど……」
結花「『ドン松五郎の生活』ですよね」
知美「そう! もしこの作品が当たらなかったら、私は干されると思っていて(笑)。映画に出ていたドッグトレーナーさんがすごくカッコよく見えたから、もし干されたら学校に行ってドッグトレーナーを目指そうって」
伊代「そのお仕事が新鮮に見えたのね。私は当時、何も考えられなかったな。売れなかったら、シングルを1~2枚くらい出させてもらって、それで終わりかなって。万が一、売れても結婚とかしたいし、旦那さんがダメって言ったらアイドル辞めるのかなとか。漠然とした感じでしか思ってなかったと思う」
結花「知美ちゃんみたいに、事務所からは何か言われました?」
伊代「事務所よりも、母から“一生できる仕事よ”って言われて。“頑張りなさい”って言われたけど、“ええ!? 私、一生働くの!?”って(笑)」
結花「アハハハ(笑)。私、アイドルはすごくやりたいお仕事だったんですけど、別にやりたい仕事もあって」
伊代「え、そうだったんだ」
結花「学校の先生になりたかったんですよ」
知美「すごい! 何の先生に?」
結花「小学校の先生。だから、アイドルにはなれたけど、大学に行くくらいまではやろうかな、って。確か事務所にも4年間だけで、みたいなことを伝えていた気がします(笑)」
伊代「結花ちゃんは何歳でデビューしたの?」
結花「16歳です。だから20歳くらいまで、という感じで考えていたんですけど、気がついたらこんなに長く……(笑)。でも、こう聞くとみなさん“ずっとやっていく”という感じじゃなかったんですね」
彼女たちのデビュー当時、新人にはいろいろなキャッチコピーがつけられた。ファンに対してそれぞれの個性を印象づけるためだった。その中には個性的なものもあって─。
伊代「私は“瞳そらすな僕の妹”でした。『たのきん全力投球!』という番組の中で、田原俊彦さんの妹役でデビューしたんです。当時、“妹”というのが流行っていたんですよ」
知美「そうでしたね」
伊代「当時、事務所の先輩だった大場久美子さんも“一億人の妹”というキャッチコピーだったかな。結花ちゃんは……」
結花「やめてください(笑)。“不思議チック少女”って、もう謎ですよね、謎。初めて聞いたとき“えっ?”って思いましたから。でも、そこで意見を言っても変えられるわけでもないので“ああ、そうなんだ……”って。いまだに何が不思議チックなのかわかりません(笑)」
知美「私は雑誌『モモコクラブ』のコンテストでグランプリをいただいたので、“菊池桃子の妹分”といわれてました。一応、キャッチコピーは“1秒ごとのきらめき”っていただいたんですけど、意味がいまだにわからない(笑)」
伊代「大丈夫、今もきらめいているから(笑)」