《私と春馬は、よその親子では考えられないくらい一心同体でした。たぶん、春馬も私がいない生活は考えられなかったと思うの》
2月18日発売の『週刊新潮』2月25日号で5ページにわたって組まれた特集記事で、冒頭から《言いたいことはたくさんあるの》と告白を始めたのは三浦春馬さんの実母・A子さんだ。
昨年7月18日に自宅マンションで亡くなった春馬さんの遺骨は、現在もお墓に入ることなく彼女が持ち続けているという。訃報から7か月経った今なお、安らかに眠ることが許されない故人の周囲で何が起きていたのだろうかーー。
茨城県土浦市に生まれ、幼少より劇団に所属して子役としてデビューした春馬さん。その後もドラマや映画に出演し、2008年にTBS系ドラマ『ブラッディ・マンデイ』で主演を務めると大ブレイク。以後は演技力に磨きをかけて難役もこなす実力派に成長し、順風満帆な芸能人生活を送っているように見えた。
しかし、彼を取り巻く家庭環境は複雑なものだったという。スポーツ紙芸能デスクが解説する。
「両親は彼が7歳の頃に離婚し、A子さんは春馬くんを連れて自宅から出て行ったのです。その後、彼女は客として訪れていたホストクラブのオーナー男性と再婚して3人で暮らし始めるも、春馬くんは家で1人きりになることが多かったそう。彼の拠り所となったのは、当時通っていた劇団だったと言います」
しかし、春馬さんが次第に“芸能人”として有名になっていくと、A子さんの興味は息子に向けられていったようだ。
「春馬くんが都内の高校を卒業する頃には、母親や義父との関係も良好に。一方で、次第にA子さんの身なりが派手になっていったと言います。そして、彼女は再び離婚。すると、春馬さんにお金の無心をすることも多くなった、という取り巻く家庭環境の移り変わりが週刊誌などの周辺取材で浮き彫りになっていったのです」(前出・芸能デスク)
そんなA子さんに愛想を尽かしたのか、以降は連絡を取ることを断っていたという春馬さん。さらに母方の戸籍を抜けて、本名を生き別れた実父の「三浦」に改姓した、とも伝えられた。つまりそれは母親との“絶縁”宣言だったのかもしれない。
実父との20年ぶりの再会で“歯車”が
そして春馬さんはさらなる行動を起こす。報道によると、いまから2〜3年ほど前、“生き別れた”実父・Bさんと約20年ぶりの再会をはたしたのだという。
「彼にしてみれば、残された“唯一の肉親”で、幼心に父とのいい思い出もあったのでしょう。ところが、当初こそ迎え入れらて絆を深めるも、心臓の手術をするなど健康面に不安を抱えていたBさんだけに、今度は父親からも金銭的支援を求められた、というのです」(前出・芸能デスク)
母親のA子さん、そして父親のBさんと双方が春馬さんの資産を当てにしていた。そして彼が亡くなったことで、これが遺産争いとなったのだ。
「春馬さんは個人会社を設立していて、所属事務所『アミューズ』からのギャラや印税がそこに振り込まれていたと言います。今後に見込まれる収益は事務所が管理し、基金を設立して収益を寄付していく仕組みになるようです。
遺産となるのは預金や自家用車などの個人資産で、両親や兄弟で分配されますが、彼は一人っ子なので本来ならば父と母で2分の1ずつに分けられると思います。ただ、Bさんは約20年間を“不在”にして父親としての役割を果たしていたと言えるのか、A子さんがどう判断していたのか」(芸能プロ関係者)
春馬さんが亡くなって以降、ともに沈黙を貫いてきた両親。A子さんは件の遺骨、生前の記録が残る携帯電話や手帳などの遺品を持ったまま、親族も連絡がとれない“行方不明”状態にもなっていた。
そんな中で、先に沈黙を破ったのがBさんだった。昨年末に『女性自身』12月22日号の取材に応じたのだ。