目次
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ー 【1】100円均一のビジネスモデルはひょんなことから ー 【2】店舗はなく移動販売からスタート
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ー 【3】“大創”という名前に込めた願い ー 【4】銀座に旗艦店をオープン
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ー 【5】ロゴは2019年に変更 ー 【6】アメリカで人気の商品はこれ
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ー 【7】毎月1200の新商品を開発 ー 【8】一番大きい店舗は千葉のギガ船橋店 ー 【9】サステナビリティにも取り組む

 100円ショップ「DAISO」を運営する大創産業の創業者の矢野博丈氏は、大学卒業後、学生結婚した妻の実家のハマチ養殖業を継ぐが失敗。借金を背負ってしまう。その後9回もの転職を重ね、広島県で荒物、鍋、雑貨を扱う移動販売業に従事。1972年に「矢野商店」と名付け、夫婦で働くことに。

【1】100円均一のビジネスモデルはひょんなことから

訪れた先で、トラックから商品を降ろし、ベニヤ板に並べて売る。雨が降れば休業という、いわゆる露店のような商売だったそうです。

 ある日、開店を待ちわびていたお客様から『これいくら?』と声がかかりましたが、多くの商品があるため、価格表を見なければ即答できません。そのとき、矢野が『100円でええ!』と口にし、これが100円均一というビジネスモデルの始まりだったといわれています。

 わかりやすさが功を奏したのか、商売は小さいながらも順調に伸びていきました。『これも100円で買えるの?』と喜んでくれるお客様の笑顔が、矢野商店の原動力となりました」(大創産業・広報担当、以下同)

【2】店舗はなく移動販売からスタート

 100円均一での商売は評判を呼び、矢野商店はスーパーマーケットの店頭で催事販売を行うように。大手の総合スーパーからも声がかかり、東京まで出向くこともあった。4トントラックに商品を満載して、広島から10数時間かけて走った。

商売は順調でしたが、同じことを続けていては、いつかお客様に飽きられるのではないかと、通常の販売とは別に、アイデア商品ばかりを集めたコーナーや、手芸関連の商品だけに絞ったコーナーなどを考え、催事を行いました。

 また、独自の自社での商品開発にも乗り出していきました。催事でお客様を集めていたら、あるスーパーから『4階に店を出してみないか?』と誘われ出店したところ、お客が来なかった4階に人が上がってくるように。

 このときに、『よい商品を置いていれば、固定の店舗でも売れる』ことがわかり、常設店の展開が始まったのです。それから全国47都道府県へ、ついには海外にまで出店することができました」

DAISOの元祖、「矢野商店」当時の様子
DAISOの元祖、「矢野商店」当時の様子