「今から23年前の今日、日本の特殊部隊SATが初めて大きな注目を集めることになる西鉄バスジャック事件が起きました」
そう話すのは、元大阪府警の刑事で、犯罪ジャーナリストの中島正純氏。特殊部隊SAP(後にSATと改名)の存在が最初に明らかになったのは1995年、函館空港で起きた全日空機ハイジャック事件だ。当時は警察内でもほとんど存在を知られていなかった秘密部隊だった。
ハイジャックなどの際に強行突破する特殊急襲部隊、通称SAT
「『よど号事件』(1970年)、『ダッカ事件』(1977年)など多発するハイジャック人質事件に、当時の警察は対応できる部隊を持っておらず、犯人の要求を全面的に飲まざるを得なかったという屈辱を味わっていた。
それらの苦い経験から日本警察は本格的な対テロ作戦部隊の設置を決め、まずは警視庁と大阪府警に特殊急襲部隊を設立。さらに追随して全国の主要7都道府県の警察で特殊部隊の設置が水面下で進められた。これがハイジャック、バスジャック、立てこもりなどの際に強行突破する特殊急襲部隊、通称SATが作られた経緯です」(中島氏)
そんな中2000年5月3日、ゴールデンウイーク真っ最中に日本を震撼させる西鉄バスジャック事件が起きる。
「犯人であるA少年(当時17)は、佐賀県佐賀市の中学校でかつて激しいいじめを受けていた。高校に入学したものの、すぐに退学。その影響で家庭内暴力を繰り返すようになったため、ついには精神病院へ入院させられた」(全国紙社会部記者)
本当は母校の中学校で生徒たちを殺害して復讐を果たし、自分も死ぬつもりだったというA少年。
「だが、精神病院で外泊許可が下りたのがたまたま休日だったため、学校を襲うことを諦めてバスでの無差別殺人に切り替えたようです」(同・社会部記者)
5日3日の午後0時56分、A少年は佐賀第二合同庁舎発、西鉄天神バスセンター行の西鉄高速バスに乗り込んだ。太宰府インターチェンジ付近で、彼は運転手に近づきおもむろに牛刀を突きつけ、
「天神へ行くな、このバスを乗っ取ります。お前たちの行く先は天神じゃない。地獄だ」
と脅し、2日間にわたる未曾有の惨劇が始まる。