学校の廊下で、同級生が通りすがりに、見下すようにクスッと笑う。あるいは休み時間に、靴を投げ合ってふざけていたグループが、おとなしい生徒のグループにも投げて笑いをとる。これはいじめだろうか?
「いじめと一見して判断がつきにくいようなものが、最近の主流。そのため靴を投げられた側がいじめだと主張しても、やる側も周囲も、ふざけていただけだろうという話になってしまう。子どもたちはいじめがよくないことだと恐らくわかっているので、いじめまでいかない、微妙なラインを目指してやっているのではないかと思います」
そう分析するのは『教室内カースト』の著者で、秋田大学大学院助教の鈴木翔さん(教育社会学)。いじめかどうか、はっきりとしたことは言えないけれど、確かに残る違和感。そのモヤモヤの背景には、『スクールカースト』の存在があると指摘する。
スクールカーストは教室内での身分制をさす言葉。同学年の同級生でありながら、どのグループに属しているかによってクラスでの地位が決まる。いわば階級社会が子どもたちによって作られているのだ。
「このグループと仲よくなったら得だろうとか、ここまで下のグループと話すのは、もうやめようとか。円滑に学校生活を送るため戦略的に、意図的にグループを組んでいます」
勉強ができる、スポーツが得意など、昔から共通項によってグループができたものだが、スクールカーストとの違いとは?
「今の子どもたちがよく言うのは“キャラ”ですね。派手なキャラだからこのグループに行ったとか、私はそういうキャラじゃないという言い方をします。それも周囲が認めてくれないとダメ。自分としては明るいキャラのつもりでも、クラスで受け入れられなければただの“空気が読めない人”になってしまいます」