hanyu

 8月、懇親会を開いた際に羽生結弦が「平昌で終わり」と引退発言したとスポーツ紙が一斉に報じた。しかし、その4日後に発売された読売新聞では《羽生 平昌後去就は未定》と、羽生自身が引退報道を否定。

 4年という五輪の周期が、曖昧な引退騒動の要因のひとつのようだが、羽生の周囲の大人たちは、すでにこんなプランを練っているという。

「ゆづクンはフィギュア界に固執していません。8月7日のインタビューのときも、“講師になりたい”と話しています。平昌五輪の2年後には、東京五輪がある。そこでスポーツキャスターなどで起用したいという話も出るのでしょう。引退せず、休養中であれば、八方が丸く収まるわけです」(広告代理店関係者)

 実は、羽生の引退騒動は今回だけではなかったという。ソチ五輪後にも、プロ転向の噂が流れていたそうだ。

「ゆづクンは2歳から持病の喘息を抱えており、家族などの周囲は早期引退を希望しているという話が流れた。ゆづクン自身も、“ベストなときにプロ”という思いが昔からあり、かつ、過去の五輪金メダリストたちの多くが世界選手権と五輪の2冠を制覇した後、早期引退や休養をしています。五輪の金メダリストであれば、アイスショーの出演料だけ見てもひとケタ違うというように、高収入が約束されている現実が背景にあります」(前出・スポーツライター)

 確かに、’02年ソルトレーク五輪で金メダルを獲得したアレクセイ・ヤグディンは、史上初となるフィギュア3冠(グランプリファイナル・冬季五輪・世界選手権)を達成し、’03年11月に引退を発表。プロに転向し、数々のアイスショーに出演している。

 ‘06年トリノ五輪金メダリストのエフゲニー・プルシェンコは、すでに3度の世界王者に輝いており、トリノ五輪後は休養を宣言。

 アイスショーを活動の中心にするも、’09年にアマチュア競技に復帰し、’10年バンクーバーは銀メダルを獲得している。

 ‘09年世界選手権で優勝したエヴァン・ライサチェクは、翌’10年のバンクーバー五輪で金メダリストに。

 その後、現役続行を示唆したが、ケガなどでアマチュア競技会には1度も出場できなかった。つまり、オリンピックで事実上の引退となってしまった。

「ゆづクンはまだ若いからと思う向きもあるだろうが、五輪制覇時の年齢は、ヤグディンは21歳、プルシェンコは23歳、ライサチェク24歳と、ともに若い。想像以上に身体に負担のかかるハードな競技だけに、フィギュア界は引退が早いのです。ただ、幼いころから病魔と闘い続けてきたゆづクンは、氷上で舞えることに感謝し、戦えるうちは常に極みを目指したいというモチベーションが非常に高い。そのため、五輪後の休養も取らず、平昌五輪を目指しているんです」(スポーツ紙記者)

 その熱い気持ちが、言葉のはしばしに表れているのは、これまでの彼の発言を記した『羽生結弦語録』(ぴあ)を見てもわかる。‘14年2月、ソチ五輪後には、こう語っている。

《五輪王者とか世界王者とかは関係ない。モチベーションが落ちることはないし、僕はもっと強くなりたい。新しい敵は自分自身》

 ‘14年5月、ヤグディンに続く、世界で2人目の3冠王者に輝いても、《過去に対して自分が満足することはないと思います。「もっと強くなりたい」という気持ちが原動力になるので、気持ちが切れることはありません》と強い意志を語っている。

 今回の「平昌五輪で終わり」という発言も、過去の語録を見ていくと、“今は五輪連覇しか考えられない”という強い思いからの発言だったのかもしれない。

《まず「王者になる!」と口に出す。そのあとで自分の言葉に自分自身が追いつけばいいんです》

 これは’11年11月の発言。東日本大震災で、地元が被災し、心が揺れるシーズン中、まだ16歳でありながら、自分自身を追い込んでいた。

 熱き男の引退劇は本人に任せ、羽生結弦ファンならば、世界王者復権に燃える今シーズンの戦いぶりをしっかりと見守ってあげたいものだ。