s-ishikura0326

 強面の外見とは対照的な、面白トークのかわいらしいキャラクターの石倉三郎。これまで、名脇役として作品に彩りを添えてきた彼が、映画『つむぐもの』でついに映画“初”主演を果たした。

 喫茶店で偶然、出会った高倉健に声をかけられ、21歳で東映の大部屋俳優になったのは有名な話。

「昔、ギャグでね“オレ、健さんにスカウトされたんだよ”って言ったことがあるけど、不思議だよね。もう少しタッパがあるとか、二枚目ならいいですよ、そうじゃないから。だから縁としか言いようがない。

 当時は、ケンカっ早くて、しょっちゅう青たん、赤たんを作っていたから目立ったのかもしれない。健さんに“さぶちゃんって、ケンカ好きなの?”って聞かれて、“ケンカ好きなヤツなんていないですよ”って話したことを覚えている」

 役者の世界に入れてくれた高倉健と出会えたことは「僥倖。ただただ感謝しかない」と語る。その後、26歳で東映を辞め、坂本九さんの専属司会を2年間務める。36歳でレオナルド熊さんと組んだコント・レオナルドが漫才ブームに乗り大ブレイク。

「本当は、もっとお笑いをやっていたかった。大部屋では、“コノヤロー”“テメー”くらいで、セリフなんてもらえなかったの。でも、コントは自分で作ったネタを話すとお客がウケてくれる。自分が主役だから、自信がつきますよ。今あるのは、コントのおかげ。

 あのころ、10年はコンビがもつだろうから、いくらかお金を貯めて……と、考えていたんです。でも、4年で相方に裏切られて解散。また、俳優の世界に戻ってきました」

 舞い戻ってきた世界で感じた、惹かれずにはいられない演技の魔力。

「やっぱり芝居って楽しい。なんとも言い難い魅力があるんです。でも、さっき話したような経歴だから。高倉健さんとか、仲代達矢さんみたいに、しかるべき劇団出身とか、演じることについての帝王学を学んできたような人に対して、後ろめたさのようなものがあるんだよね」

 ウソはつきたくないからと告白してくれた石倉。

「この仕事って、年齢を重ねるにつれて、責任が増えていく。セリフの量が多くなるし、役も大きくなっていく。だから、ずっと新しい経験をし続けている感じ」

 近作のドラマ『下町ロケット』など、数々の話題&ヒット作に出演し続ける名優でありながらも、謙虚な姿勢で歩み続けてきた役者人生。50年目にしてつかんだ“初主演”。

「演じているときは“主役”って特別に思わなかった。でも、できあがった作品を見たとき、エンドロールのクレジットのいちばん初めに名前がポーンっと出るのよ。おしっこちびりそうになっちゃった。もちろん我慢したけど(笑い)。

 オレより感動したのが女房とマネジャー。マネジャーから“泣けました”って言われたとき“お前、字に感動したのかよ”って(笑い)。この思いは、同じ業界にいる人にしかわからないかもしれないですね。やっぱり主役としての責任があるから、たくさんの人に見てほしいと思いますよ」

 日ごろ、電話で頻繁に連絡をとり合っている柄本明や佐藤B作、橋爪功、西田敏行にも見てほしいと語る。

「知らせたら、みんな見てくれるとは思う。でも、ちょっとテレるよね。だから“お前、あの作品やっていたんだな”って(評判を聞いて)見てくれたらいいなと思いますね。

 でも、もし健さんが健在だったら、絶対にチラシを送っているね。“こういうことです”って。すごく喜んでくれたと思う。やっぱり、全部が間に合うってことはないんだな……」

 ちょっと話がそれるけど、と続ける。

「家を新築すると、必ずよくないことが起きるって言うじゃない。新車を買ったら、ぶつけるとか。世の中って、そういうものじゃないかなって。全部が、うまくいくことってないよね。だから、あの人だけには見てほしいと思っていても、それは贅沢なんだな。

 健さんのこと、今も死んだと思っていないの。どこかのお寺で雑巾がけでもしているんじゃないかって、そういう気がする。仏教の世界が好きだったから。でもわかるな、孤独だったんだと思う。どこにも逃げ場がなくて孤独以外、何もない。人間の幸せってわからないね」

 かみしめるように言葉を紡ぐ石倉に聞いた。幸せを感じる瞬間とは?

「今。こうやって取材してもらえている状況は、幸せだよね。現役だなと思えてうれしいですよ。続けてきて、よかったと思う。毎年1~2回は“オレ、俳優やっていていいのかな?”って、思うんですよ。今年は、まだその時間が来てないんだよね。秋口に思い悩むことが多いから、そのときは電話しようか(笑い)」

撮影/坂本利幸