s-20160614_yashima

 今年1月に『やる気節』でメジャーデビューを果たしたやしまひろみ。

「もう、歌手を辞めようと思っていたんです。なので、まさかこんないい曲に巡りあえるなんて……」

 25年間、歌手として歩んできたここまでの道のりは、長く厳しいものだった。あるレコード会社幹部も驚きを隠さない。

「女優さんやタレントさんなど、知名度がある方なら50代でのデビューはあるでしょう。ですが、無名の歌手がこの年齢でメジャーデビューなんて、聞いたことないですよ。演歌界ではこのことに話題騒然です」

 やしまが歌手としてレコードデビューしたのは19歳のとき。しかし、インディーズというマイナーな世界でのことだった。そのときのことを彼女はこう振り返る。

「オーディションに行ったら、“プライベート盤だがレコードを出さないか”と言われたんです。レコードを出せば本物のプロになれると思っていましたし、歌手としてデビューしたかった。なので、プライベート盤でもいいので出すことにしたのです」

 だが、それは製作費やプロモート費を歌手が負担するということ。売れればお金が入るかもしれないが、そう甘い世界ではない。

「1度は結婚して歌の世界から離れた時期があったのですが、夫の借金問題などで離婚し、すぐに戻ってきてしまいました。何枚も曲を出したのですが、プライベート盤なので、CDを出すたびに多額の費用がかかりました。実家はみかん農家で、私を応援するたびに、みかん山をひとつ、ふたつ、みっつと手放して……。本当に親には迷惑をかけたと思います」

 それでも歌への情熱は冷めることはなかったという。子どもを連れキャンペーンに行けば、楽屋から子どもが出てきてスピーカーにのぼってしまったこともあったという。

「歌手をしていて、苦労したとか、つらかったという思いはあまりなかった。ただ、50歳を越えたあたりから、“このままでいいのか”という思いが出てきたんです。精神的にも金銭的にも行き詰まりを感じてきたんですね」

 やしまは歌謡界などの知人に、自分の今後を相談したという。そして、紹介されたのが、福岡県で数々の大物芸能人をプロモーションしてきた芸能プロダクション社長だ。

「今まで出した歌を社長が聴いてくださり“いい作品がないな”と。もし、メジャーでやりたいのなら、“物の見方や考え方、歌い方、化粧の仕方まで一からすべて変えなさい”と。