皇室と五輪の関わりには歴史がある。天皇陛下と皇后・美智子さまのご成婚から5年あまり、“高度経済成長”で日本中が沸き返っていた'64年10月、東京オリンピックは開かれた。
「10月10日に国立競技場での開会式で、昭和天皇が開会宣言を行い、香淳皇后とともに、サッカーや、陸上や馬術などを観戦されています。
皇太子だった陛下も美智子さまとともに重量挙げやレスリングなどを観戦し、当時4歳だった皇太子さまも、マラソンや馬術、閉会式もご覧になりました」(宮内庁関係者)
幼いころの皇太子さまが目を見はったのは、マラソンで2大会連続の金メダルを獲得した、エチオピアのアベベ・ビキラ選手。
裸足のランナーとして知られ、両陛下が'60年11月にエチオピアを訪問された際に親交が生まれ、
《金メダルをプリンセス・ミチコにお見せし「アリガトウ」とひと言、お礼を述べたい》
という手記を'64年に本誌に寄せている。
そんな当時の思い出を皇太子さまは、ご家族にお話しになっているかもしれない。
「東京五輪まで4年という今回のタイミングは、新しい天皇と皇后に東京五輪という“晴れの舞台”をお譲りし、新しい皇室の姿を見てもらいたい両陛下のお考えがあったのかもしれません」
そう話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。
「陛下の家族へのご心配は、とりわけ次の皇后となる雅子さまのことが念頭にあったと思います。
最近は愛子さまとのお出ましが増えて、ご体調が安定してきた雅子さまですが、大喪の礼から即位の礼までの儀式や行事の負担に耐えられるかどうかはわかりません。
そこで生前退位をして葬儀を簡素化するなどとともに、皇太子ご夫妻のために“大舞台”をご用意したとも考えられると思います」(渡辺さん)