代表作『家政婦のミタ』の脚本家・遊川和彦が、映画『恋妻家宮本』で監督デビューした。映画監督は憧れだったが、実に37年もかかってたどり着いた、その理由とは? 現場に口出す“物言う脚本家”が、メガホンを握って感じたこととは? そして、自ら造語した“恋妻家”とは? 遊川監督を直撃──。

「不徳の致すところ」

 

“愛妻家”は、俺ってすごいだろうって、ちょっと押しつけがましい印象だけど、“恋妻家(こいさいか)”には、刹那せつなに(奥さんを)かわいいと思える感受性があって、それが恋することだと思います

 重松清原作『ファミレス』を、自ら考案した造語“恋妻家”をテーマに脚本を担当した映画『恋妻家宮本』で、監督デビューを果たした遊川和彦。

 大学卒業後、映画監督を志して広島から上京。就職したテレビ制作会社で、台本の手直しをするうち、書くことをすすめられ、脚本家の道へ。『家政婦のミタ』『〇〇妻』など数々の人気ドラマを手がけてきた。

 自身の作品の撮影現場には必ず顔を出し、演出や俳優に指示することで知られ、“物言う脚本家”ともいわれる。

 憧れのメガホンを握るまでに、実に37年もかかったことについては、

いつの間にか脚本家になり、そのうち現場に口を出すようになって、役者にも注文を出す。(関係者に)面倒くさい人といわれ、そういう噂も立ち、仕事をすること自体がデンジャラスといわれるようになった。そんな人に監督をオファーする勇気もないでしょうから、そういう意味でいえば30年以上かかったのは不徳の致すところだと思っています

 数人の監督が候補に挙がったが、スケジュールなどの調整がつかないこともあって、プロデューサーから「遊川さんが撮るのがベスト」とオファーされた。

織田信長でもなく、豊臣秀吉でもなく、いちばん自分らしくない徳川家康タイプだったことがわかりました(笑)

 僕は、すべて映像化するために書いていて、書きながら頭の中で演出しています。今回は、強烈な世界観や自己主張の強い作品なので、“ほかの人では理解できないだろうな、(現場で)もめるよな……俺が撮るしかないんだけどな……”と思っていました」

「脚本家の遊川は現場に来ないから」

 念願叶った初監督作品は、子どもが巣立った50代の夫婦を主人公に、家族のあり方や人生を見つめ直す姿を描いている。

(監督として)大変なことはありませんか? と聞かれるけど、ほとんどないんです。なぜかというと、脚本家の遊川は現場に来ないから(笑)。事前にスタッフや俳優には、いちばんおもしろい作品を作るための意見しか聞きません、というルールを共有してもらって撮影しました。監督は、いろいろ決めることがあって、孤独な作業でもあったけど、楽しかったし、素敵な仕事だなと思いましたね