「最初のメンバーは、数年で事務所を辞めてしまったNくん。その次にジャニー喜多川社長が選んだのが僕でした。でも、忙しくなって高校に通えなくなるのがイヤだなと思って。代わりに後輩の森(且行)を推薦したんです」
と語るのは、かつて木村拓哉や中居正広と同時期にジャニーズ事務所でレッスンに励んだJ氏。のちに彼らが6人でデビューすることを思えば“7人目のSMAP”だ。
「そのあとに選ばれたのが木村、そして草なぎ(剛)です。この2人は当時、CHA-CHAにいたのをトレードで戻したんですよね。代わりに向こうに行ったのが少年忍者の中村(亘利)と、トシちゃんのバックで踊っていた木野(正人)でした」
CHA-CHAとは、欽ちゃんファミリーが作った二枚目半的なグループ。このころ、ジャニーズ事務所もバラエティー的なセンスを学ぶために、事務所の枠を越えて交流を深めていた。元CHA-CHAの勝俣州和がテレビ番組で「世が世ならSMAPの一員だった」などと話したりするのはそういうゆえんだ。
「それから中居、(稲垣)吾郎の順に選ばれ、最後の1人が(香取)慎吾でしたね」
こうして'88年に結成されたSMAPは、'91年にデビュー。国民的アイドルグループへと成長していく。が、そこには幾多の困難もあった。まずは森の脱退だ。というのも、
「森はまっすぐなやつで、歌も踊りも天才的にうまかったですからね。間違いなくセンター候補でした。でも、ジャニーズを辞めてからは大変なときもあったみたい。食えないときを支えていたのは奥さんでしたね。しょっちゅう泣いてましたけど」
一方、最年長の中居はというと、
「演技はできない。踊れない。歌も下手。リーダーのくせに仕切れない。でも、みんなをまとめようと細い身体で頑張ってましたけどね」
そんな努力が実り、あの『紅白』を仕切れるほどのMC能力をマスター。ドラマで超人気者となった木村との強力ツートップができあがった。