親としては、子供がどの程度の才能を持っているのか気になるところ。親の才能が遺伝するのであれば、平凡な両親のこどもには平凡な才能しかないのだろうか?
わかりやすい才能 わかりにくい才能
子どもの能力を示す言葉として、よく才能という言葉が使われるが、行動遺伝学(※記事の最後に解説あり)と教育心理学が専門の慶應義塾大学・安藤寿康教授によれば、
「学問や芸術、プロスポーツなどの世界で通用するメジャーな才能ばかりに注目しなくていいと思います。こうした超一流はほんのひと握りしかいないのですから」
そもそも才能とは、いったい何なのか?
「遺伝子は生命が誕生した40億年前から脈々と伝わっているものです。どの時代やどの文化であろうともおかまいなく、たまたまその人間に表れた特徴のひとつにすぎません。その特徴が、その時代とマッチして目に見える成果として評価されたときにはじめて “才能” として認識されます。
例えば、学校のテストの成績がいい、TOEFLやTOEICなど語学テストのスコアが高い、音楽のコンクールで優勝する、スポーツで世界大会に出場した……。こうした才能は今の時代では “メジャーな看板” があるからこそ目につきやすいのです」(安藤先生、以下同)
もし縄文時代に語学テストのスコアが高い才能があっても、評価されないだろう。
何かにこだわるのも才能のひとつ
「つまり、みなさんがイメージする才能とは、目に見えるものだけを指しています。表(「さまざまな形質の遺伝の割合」)で挙げた人間の特徴も、わかりやすい才能を取り上げているだけ。しかも、ほとんどは個人プレーによるものです。
もしお子さんにあてはまる才能がないとしても、それ以外の眠っている才能がある可能性は否定できません」
でも、誰にも気づいてもらえない才能を持っていたとしても意味がないのでは?
「そんなことはありません。多くの人は見えにくいけれどささやかなよさや強み持っていて、それが学校や職場でのチーム、友人関係の中で生かされているでしょう? それが才能の目覚めです。
実は、 “わかりやすい突出した個人的才能” よりも “社会関係の中で一見目立たない才能” のほうが役に立っている可能性が高いと考えます。
企業で成功した社長たちを見ていても、最初のうちは “自分が世の中で使いものになるかどうかわからなかった” 人が多い。でも、ちょっとした自分のこだわりを捨てずに頑張って仕事に取り組んでいった結果、成功して評価される、というような話が多いように思います。その “こだわり” が、まさに才能といえるのではないでしょうか」
まだ社会的には認められていないかもしれないが、ひとりひとりの子どもには独自の遺伝的素養があり、それを社会の中でうまく活用できれば、成果を挙げられるのだ。
では、もともと子どもが持つ特徴を社会で活躍できる才能にまでレベルアップさせるにはどうしたらいいの?
「もちろん簡単ではないでしょう。でも、まず親や周りの大人たちが子どもの才能に気づいてあげられるようにさまざまな経験をするのを見守るべきです。そのとき、子ども自身が内側から湧き上がる感情で前向きに取り組めるようなもの。そこに子どもの才能が眠っているかもしれません。
親自身が尊敬している人物や夢中になっていることを子どもに伝えてあげる機会は特に大切だと思います」