「そんなの関係ねえ!」「オッパッピー」のフレーズと海パンで世間をにぎわせたのは2007年。その年の年末には「ユーキャン流行語大賞」にノミネートされるが、華やかなときはたったの1年ほど。次第に「来年消えそうなタレント第1位」(のちに3年連続第1位)、「渋谷の女子高生が選ぶ 来年消えそうなタレント第1位」などに選ばれる始末。そうして「一発屋」の道を歩むようになってはや10年。一発屋歴10年は、かなりのベテラン!

 開口一番、小島がキッパリと言い放ったのが、「一発屋をブランド化したい!」という言葉。むむ、それはかなりの開き直り? 

 “一発屋”というと、一般的にはあまりいい意味に使われない。花火のようにパーンっと華やかに高く咲き乱れ、あとはちりちりとはかなく消えていくイメージ。

 それを「あえて逆手に取って、自分から“一発屋”と名乗ることに」し、さらには“一発屋会”なるものも立ち上げた。会員になっているのは、みなさんご存じの芸人たち(想像におまかせします)。

「“一発屋”と呼ばれる人たちは年々増えていきます。ひとりひとりの力は弱くても、みんなが集まれば大きな力になります。同じ“一発屋”として力を合わせることが、生き残りには必要なんです」

 その根底には“アンティークの精神”が宿っているという。ヨーロッパや北欧では、100年以上たった家や家具を活用することがしばしばで、ごく普通の考え方。古ければ古いほど価値が見いだされ、時を超えて愛情豊かに、大切にされていく。だから一発屋も、そんな存在にしたいというのが小島の願い。

小島よしおって何年もの?」「2007年もの? 古い! いい味出してる〜!」って会話になると面白いし、それくらい定着させたい。つまりは、“一発屋”の価値を高めることが“ブランド”に通じる、というわけ。「これが定着したら、日本は幸せな国になるんだけどな〜」と、しみじみ。

 とはいえ、具体的にアクションを起こさなければ、やはり世間から忘れ去られてしまう。そんな小島を救っているのが「子どもたち」だという。

2011年から始めた子ども向けお笑いライブは今では年間100本以上。ざっと計算しただけでも、何千人もの子どもたちに会っています

なぜ子どもたちを相手にしたの?

 そもそも、なぜ子どもたちを相手にしはじめたのか? それは「一発屋」と呼ばれ始めたころにさかのぼる。まだ食べていけるくらいの仕事はあったものの、確実に右肩下がり。「5年後10年後はどうなるのか?」と、心の中は不安ばかり。芸能界から消えたくなくて、毎日「消えたくない!」と言い続け、とある一発屋芸人と『消えたくない2人』というライブをしたほど。

「“自分だけにできることを探さなきゃ!”って模索ばかりしていましたね」

 そんなとき、ある先輩芸人がひと言、ポンッと発してくれた。「子ども向けにライブをやってみたら?」と。

 当時の小島はまだ結婚もしてないし、もちろん子どももいない。それでもなぜか「挑戦してみよう」と素直に受け取り、ライブ開催に踏み切った。このとき小島、30歳。

 こんな生き方のことを小島自身、“流木イズム”と呼ぶ。毎日すべきことはしつつも、ただただ流れのままに、流されるままに、過ごし続ける。そうしていると、ふと目につくものや、たまたま手を差し出されることがあり、自然に手をのばしてみる。するとそれがきっかけになり、新しい変化を手に入れる可能性が高まる、というもの。

 もちろん、すぐに成功したわけではない。「もう帰りたい」と子どもに泣かれてしまったこともあれば、子ども自体が集まらなかったことも。