少年がやり取りを拒むことはなかった
それは、冒頭のように虐待の後遺症で大人に極度の不信感を抱く少年に対し、「自分が中途半端に深入りすることで、さらに傷つけてしまうのではないか」という恐れだった。
少年との手紙は、主にこちらの質問に少年が答える形でのやり取りだった。普通にやり取りが続いても、一つ記事が載るごとに、わざとこちらを怒らせるようなことを書き、自分から関係を断とうとしているように感じることもあった。
まるで「必要な情報は得られたでしょう。ボクはあなたにとってもう利用価値はないですよ」と言っているようだった。しかし、取材すればするほど明らかにしたいことが出てきた。もう少し事件の背景を取材したいと伝えると、少年がやり取りを拒むことはなかった。
「恐れ」を感じつつも取材を続ける中で、ポプラ社から書籍化の話をいただいた。文字数に制限がある新聞では書きたくても書き切れないことがたくさんあったため、ありがたい話だった。
しかし、その少し後に妊娠が分かったこともあり、本当に書けるのかどうか自問自答を続けた。「必ず書き上げる」と覚悟を決め、少年に書籍化の話を伝えたのは、最初に話をいただいてから10か月ほどが経ち、私が産休・育休に入る直前だった。
少年の答えは、「いいんじゃないすか?」という意外にもあっさりしたもので、少し拍子抜けした。出産してからは、子どもが寝た細切れの時間を使って少しずつ原稿を書きため、約1年かけて書き上げた。少年は私にさほど期待していなかったかもしれない。しかし今思い返すと、あのとき私を動かしていたのは、「少年との『約束』を破って傷つけたくない」という一点だったように思える。
少年には、自分と同じような境遇の子どもたちを助けてあげたいという強い思いがあり、本には、「一歩踏み込んで何かをすることはとても勇気が必要だと思います。その一歩が目の前の子どもを救うことになるかもしれない」「やはりその一歩は重いものです。そしてそれは遠い一歩です」という、少年の手記も掲載されている。
今回、少年を取材し本を書くという作業を通し、私は身をもって「一歩踏み出す」ことへの恐れや難しさを体験していたのかもしれない。踏み出すことで負う(負ったと自分が感じる)責任はあるが、その先には思ってもみなかった大切な出会いや「気づき」があり、私を支えてくれた。
私は「一歩」を踏み出す前にあれこれ考えすぎて躊躇(ちゅうちょ)してしまう人間だった。今回、私が踏み出したかもしれない「一歩」は、私がこれまで、心の中で「踏み出してみたい」と思い続けながら、勇気がなくてできずにきた「一歩」だったように、今は感じている。
山寺香(やまでら・かおる)◎毎日新聞記者 1978年、山梨県生まれ。2003年、毎日新聞社入社。仙台支局、東京本社夕刊編集部、同生活報道部を経て、2014年4月からさいたま支局。事件・裁判担当だった同年12月に本事件の裁判員裁判を傍聴し、取材を始める。これまでに犯罪被害者支援や自殺対策、貧困問題などに関心があり取材してきた。共著(取材班の一員として)に「リアル30‘s “生きづらさ”を理解するために」(毎日新聞出版)など。本書執筆期間中に長女を出産し、1児の母となる。