沖縄の米軍基地を「本土」に引き取る─。実に刺激的なフレーズだが、この実現を目指す市民運動が今、全国5か所で展開されている。2015年の大阪を皮切りに、同年に福岡と長崎、’16年に新潟、そして今年の東京と同時発生的に立ち上がった。
大阪の市民団体『沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動』(以下、「引き取る・大阪」)の松本亜季さん(34)は、その目的をこう語る。
「日本人が沖縄に押しつけてきた差別を解消したい。国民の約9割が日米安保体制の維持が望ましいと考えています。つまり米軍駐留を肯定しているのに、それを沖縄だけに押しつけ、自分のところには来るなという状況を変えたいんです」
どういうことか? 『沖縄の基地を引き取る会・東京』(以下、「引き取る・東京」)の坂口ゆう紀さんの体験を紹介したい。
坂口さんは’10年、聴き取り調査で辺野古を訪れるなど、基地への関心があった。だが’16年3月、沖縄で出会った70代の地元女性から言われた「学生のときに本土から基地が移ってきた。悔しかった。元の場所に戻してほしい」との言葉が心に刺さる。
これを機に坂口さんは、沖縄に米軍基地が集中するのは、日本各地の米軍基地が沖縄に移転した過去があったことを知る。
1952年、在日米軍基地面積が沖縄に占める割合は約10%にすぎなかった。だが’57年、岐阜県、静岡県、神奈川県、静岡県、滋賀県、奈良県、大阪府の米軍海兵隊が沖縄に移駐し、’72年までには福岡県の空軍基地なども移駐、’76年には、山口県の第一海兵航空団が移駐。これには、沖縄県議会や県内政党が「犠牲を県民に押しつけるのか!」と一斉に反発した。
移設理由のひとつに「本土」の反基地運動が反米運動へ転嫁していくのを日米両政府が懸念した、との研究報告もある。
今、在日米軍基地面積が沖縄に占める割合は約70%。まぎれもなく政治が「押しつけてきた」結果だ。
同時に、共同通信の『戦後70年世論調査』によると、日米安保の支持率は約9割。つまり米軍駐留を認めている。だが、その負担を自分の街では決して受け入れない。結果として、国民の多くも沖縄に基地を無自覚に押しつけているのだ。