(5)跡取り息子の死で─
夫の死後、せいのビジネスを支えたのが10歳年下の弟・林正之助だ。せいと二頭体制で会社を支えていく。
「正之助は芸人の給料を月給制にするなど待遇を改善した反面、厳しく管理した。そんな中で、せいがお母さんのような役をしていたのでしょう。芸人たちは“正之助に言ってもなにもしてくれないけれど、このおばはんに言ったら解決してくれる”みたいな。この役は彼女だからこそできた、女将さんみたいな包容力ですね」(増田氏)
1938年には、大阪のシンボルである、通天閣を買収。事業は拡大し、“女今太閤”と呼ばれるまでに。だが、彼女に最大の不幸が訪れる。
「8人の子宝に恵まれたせいですが、長男を含む4人が成人する前に亡くなっているんです。跡取り息子として残った唯一の男子である次男・穎右を溺愛するのですが、1947年に肺結核のため24歳の若さでこの世を去ってしまうのです」(スポーツ紙記者)
穎右は『東京ブギウギ』で知られる9歳年上の笠置シヅ子と交際。だが、せいは最後まで結婚を認めず、彼の死後すぐに、シヅ子は女の子を出産している。
跡取り息子を失ったせいは、表舞台に姿を見せなくなったという。そして、息子の死から3年後の1950年、後を追うようにこの世を去った。
“笑い”の陰に多くの涙を流した女傑の生涯。そこには、ドラマでは描かれることはないかもしれない、壮絶な女の一生があったのだ─。