「国難突破」を掲げて衆院を解散した安倍首相。「大義なき解散」との批判が相次ぐなかで政局は大混乱。希望の党の出現に、民進党は事実上の解党、さらには立憲民主党の登場と情勢の変化がめまぐるしい。

 衆院選は「自民、公明の与党」、憲法改正で一致する「希望の党、日本維新の会」、安倍政権の暴走阻止を掲げる「共産、立憲民主、社民」の三つ巴と言われる。しかし今月7日の党首討論で、希望の党を率いる小池百合子都知事が自ら「(安全保障で自民党と)違いはない」と語り、安倍首相退陣後の自民連携に含みを持たせていることから、実際は2極の闘いの構図だ。

 ’12年12月に旧民主党から政権奪還して誕生した第2次安倍内閣は、アベノミクスなどの看板政策を次々に掲げ、比較的高い支持率を維持してきた。一方で、安保法制や共謀罪をはじめとする問題に対し、説明を求める民意に答えず、国会答弁も不十分として批判が集中。これらは憲法違反の疑いも指摘されている。

 名古屋学院大学の飯島滋明教授(憲法学・平和学)は、安倍政権に対し「ひと言でいえば民主主義に反する政治」と批判する。

「国民の多くが反対しているにもかかわらず数の力で押し切り、強行してきた」

 そんな一強政治のもとで何が変わってきたのか。まずは安全保障・憲法改正の観点から検証していこう。

 

「戦争ができる国」はどこまで完成したのか?

 第2次安倍政権下で、とりわけ大きく変わったのが安全保障をめぐる政策だ。軍事ジャーナリストの前田哲男さんが解説する。

「安倍政治の特徴というのは、有識者会議を作って議論してもらい、それを閣議決定して国会へ提出し、最後は強行採決する。こうして既成のものを壊す、ひっくり返してきたわけですが、安全保障でも同じです」

 最初は「景気回復内閣」の看板で、アベノミクス3本の矢を掲げるなど、経済重視の姿勢を見せていたが、ターニングポイントとなったのは’13年12月。

「安全保障に関して、従来の政策を根底からひっくり返すような3つの文書を閣議決定したのです」

 これらの文書は、国防の基本方針や自衛隊の将来方向性を示したもの、兵器のお買い物リストといった内容だったが、これ以降、安倍政権は軍事体制の強化に傾斜していく。

「’13年には特定秘密保護法を成立させ、’14年には集団的自衛権の行使容認を閣議決定しました。自国は攻められていないけれど、アメリカのような日本と親密な他国が武力攻撃されたとき、日本も一緒になって戦い、協力できると憲法解釈を変えた。

 従来の政府が認めてこなかった集団的自衛権の行使を認める法案を柱にした安保法制、いわゆる戦争法案を国会へ提出、国民や憲法学者らの反対を押し切って’15年9月、強行採決してしまいました」