「どうせ、なくならないんでしょ?」
宜野湾市内の保育園で働くAさん(30代男性)は4年前、仕事のため那覇市から引っ越して驚いたという。
「急に昼の2時、3時ぐらいに、サイレンのものすごい音が聞こえてきて、寝ていた子どもが起きてしまう。夜でもヘリが飛ぶ音や、基地で整備でもしているのか、パタパタとヘリの音が聞こえてくる。宜野湾に住んで、こんなにうるさいんだと初めて知りました」(Aさん、以下同)
Aさんの園には、きょうだいを普天間第二小へ通わせる保護者がいる。
「転校させたい、でも行くところがない、宜野湾市に住んでいる以上はどこでも一緒じゃないか……。お母さんたちは、とても不安な思いをされています。
ただ、園には軍属として働いていたり、家族が軍属だったりする保護者もいて、強く反対を言うことは難しい。私自身は事故があると思って生活しているわけではないけれど、実際に起きたら、やっぱりな、とは思います」
毎月、避難訓練を欠かさず行っているが地震や火災対策のためで、ヘリからの落下物は想定していない。
「もし自分の園に落ちたらと思うと、ゾッとします。大変なことになる。園として責任を果たすといっても、どうしたらいいのか」
「世界一危ない基地」は、さまざまな形で子どもたちに影響している。
放課後になると、普天間居場所づくりプロジェクト『そいそいハウス』に近くの小学生たちが集まってくる。おやつを食べたり、宿題をやったり。普天間第二小に米軍ヘリの窓が落ちた日も、やはり子どもたちはここを訪れた。
同小に通う女児は、事務局長の森雅寛さん(41)に、こんな疑問をぶつけてきた。
「どうせ基地ってなくならないんでしょう?」
日米安保や地位協定といった難しい言葉はわからない。それでも、子どもながらに結局は米軍機が飛び続けるのだと見透かしている。
ハウス代表の赤嶺和伸さん(63)は言う。
「飛行を止めることのできない大人に対する痛烈な批判です。不安がる子どもに大丈夫となだめても根拠がない。米軍機は飛んでいて、実際に事故も起きているのだから。大人は子どもたちに行動する姿を見せなければ」
森さんは、子どもたちの冷静さに驚いたと話す。
「事故当日は動揺していた子どもたちが翌日から、いつもと変わらず何事もなかったようにしてやってくる。これは、沖縄では米軍機が飛び交うのは日常茶飯事で、鈍感にならざるをえないということ。どうせ私たちが我慢しないといけないんでしょう、と。慣らされている状況が怖いです」