前回のソチオリンピックで銅メダルを獲得した平岡卓だが、平昌の舞台では惜しくも予選落ちとなってしまった。だが、彼の持つプロボーダートしての主張、こだわり、情熱は、クールな素顔に隠れているが、誰よりもすごくものを持っていたーー。
「もともとオリンピックに出たいというだけで、スノーボードをやっていたのではないと思います。サーフィンやスケートボードなど横乗り文化で育って、ただカッコいい自分を表現したい選手が多いんですよ。平岡も難易度の高い技を決めることよりも、飛んだときの高さや板をつかんだ際のスタイルのカッコよさを追求しています」(マネジメント事務所関係者)
4年前のソチオリンピックで、平野歩夢とともに表彰台に上がった彼は、当時、高校3年生だった。
「平昌は非常に寒く、それでいて雪が降らない。パイプが硬くてコンディションがよくないのです。ですから、失敗するリスクが高くなる難易度の高い技で争う展開ではなく、技術点を争うようなことになれば彼にもチャンスはあるでしょう」(スポーツ紙記者)
ウインタースポーツの選手といえば雪国出身のイメージが強いが、平岡は縁の薄い奈良県御所市で育った。小学1年生でスノーボードに出会う。その後すぐに頭角を現し、12歳にしてプロになった。
「競技ではとにかく負けず嫌いで、自分が決めたことにはガッツリ集中して力を発揮する選手です。ハマったら強いという感じですね。ただ感情の起伏が激しいとかではなく、表に出さずクールに燃えるタイプだと思います」(同・スポーツ紙記者)
競技はもちろん自分の見られ方にもこだわりを見せる。
「自分が取材を受けたテレビ番組を見て、“そうじゃないんすよ”と僕に言ってきたことがありました。スノーボーダーとして主張したい自分の姿と、テレビ局の見せたいイメージが違ったのでしょう」(前出・マネジメント事務所関係者、以下同)
同じくメダル候補の平野歩夢とは、今でもよきライバルであり友人だ。
「ナショナルチームで一緒に動くことが多いので関わることも多いのでしょう。2月1日に開催された、所属する『バートン』の展示会終了後、久しぶりに食事に行ったそうですよ」
'16年には、なんと地元に西日本最大級のスケートパーク『GSP』を設立した。
「地元に帰ったときに仲間と遊べる基地をイメージして作ったところ、地元の子どもたちも遊びに来るようになったようです。子どもたちが自分に憧れてくれるのはうれしいそうですが、スノーボードでオリンピックを目指すだけが横乗り文化のすべてではないと考えています。表現の仕方や楽しみ方は自由なので、(スケートパークで)自分なりの楽しみ方を見つけてほしいと思っているようですね」
'20年東京五輪で正式種目になっているスケートボード。もしかしたら、平岡に憧れる子どもたちが、表彰台に上っているかも!