「ストレスが倍になりましたね。6年間、禁煙していたのに再び吸うようになり、量も増えてしまって。母が倒れたとき、自分は56歳。子どもたちを置いて、北海道から仕事に出かけることができるのか。そんな状況で続けられるのか。仕事を減らして、収入がなくなってもいいのか……など、60歳を目前にして考えました」
人生の節目を前に積もり続ける悩み
「表舞台に立つ人間という自負がありましたから、笑わせる側の人がつらい話をするのは違うな、と思っていたんですね。小室さんもそうだったんじゃないでしょうか。ましてや、KEIKOさんも芸能人の方。
本音を包み隠さず言える相手なんて、周りに少なかったんじゃないかと思いますよ。ブログなどで“頑張ってますよ”と発信することは多少の気休めになっているのかもしれませんが、同時に“元気でなければいけない”というプレッシャーにもなってしまいます」
岩本の場合は、子どもが2人いたことが苦しい中での支えになっていた。
「市川海老蔵さんは、闘病中の小林麻央さんのことをブログに書いていましたね。お子さんがいるから、前を見て頑張らなくてはいけないと思えたのでしょう。
僕も2人の子どもに支えられました。介護を始めたときは、小1と小3。子育て、介護、そして仕事……となると“子どもたちのために!”って自分を奮い立たせるしかなかったんです」
小室には子どもがいない。それが心の隙間を生んだのではないかと岩本は考える。
「子どもたちという存在がなくて時間に余裕があれば、僕もどうなっていたかわかりません。妻とは仲がよくて、食事もお酒もゴルフも一緒でした。
でも、妻を対等な関係性で見ることができなくなって“夫婦”とは呼べない状態だったんです。私も男性ですから、精神的に女性を欲していました。ただ、朝起きると子どもの弁当を作って送り出したり、地方で仕事をしているときは電話で起こしたり……という生活でしたから」
忙しいことが、むしろありがたかった。それでも頼る人がいない状況が続くと、気持ちが沈んでいく。
「妻とは“夫婦”としての生活が成立していないと思うんです。夫婦というのはどちらかが弱っていたら、もう一方が癒してあげるもの。この思いやりが一方通行になってしまうと、戸籍上は夫婦でもちゃんと“夫婦”であるとはいえないと考えていました」