「彼は障がいがありながらも、ヴァイオリンが彼に力を与えた。そんな彼がもし津波ヴァイオリンを弾いたとしたら、津波で亡くなられた方々や心に傷を負っていらっしゃる方々へ、メッセージが届くんじゃないかと思ったんですね。
この津波ヴァイオリンは過去にこんな大変なことが起こったんだということを語ることができる。そして、形を変えて人を励ましたり慰めたりする。そういう役割を持っていると思うんですね。このヴァイオリンを生かしてくれるのは、水晶くんだと思って1本を託したんです」
被災地の魂が入っている
初めて津波ヴァイオリンに触れたときのことを、式町くんは昨日のことのように思い出すという。それは、'13年夏、中澤氏の工房でのことだ。
「その当時、手にまひが出るなど身体にトラブルがあって、“もしかしたらヴァイオリンやめるかもしれません”って先生に相談したんです。“この手じゃどうにもならないし、薬で何とか対応しているけど副作用が激しい”と。そしたら先生は、“でもね、君にはつらいことがあるかもしれないけど、絶対にヴァイオリンをあきらめちゃダメだ。焦らずゆっくりでいいから”って激励してくれたんです。そのときに津波ヴァイオリンの話をしてくださったんです」
小学生のころから車いすで中澤氏の工房に通っていたにもかかわらず、津波ヴァイオリンのことを知ったのは、そのときが初めてだった。
「本当に失礼なんですが、先生がそんな素晴らしいヴァイオリンを作ったなんて知らなかった(笑)。でも、奇跡の一本松を魂柱に使ったヴァイオリンと脳性まひだけど奇跡的にまだ指が動く自分とがリンクしたんです。このヴァイオリンだって頑張っているんだから、自分もそんな弱音を言っていられないなって」
'15年3月、仙台市で開催された国連防災世界会議で、式町くんは津波ヴァイオリンで『花は咲く』を演奏。頻繁に貸し出してもらっていたところ、1年半ほど前に中澤氏は4本のうちの1本を彼に預けたのだ。その使命感に式町くんは身震いしたという。
「最悪、自分が弾けなくなるときが来ると思うのですが、弾けるうちはいっぱい鳴らしたい。津波ヴァイオリンってものすごくいい音なんです。だからこそ津波ヴァイオリンという概念をはずしても名器として残っていってほしい。
そうなるには、時間をかけて鳴らして鳴らして鳴らし続けないといけないんです。名器だけど、津波ヴァイオリンという被災地の魂が入っている。鎮魂の意味もあるけど、希望の意味も入っている。そんなヴァイオリンにするのが、僕のもうひとつの夢なんです」
時代を超えて受け継がれる津波ヴァイオリン。式町くんが弾く音色を中澤氏は絶賛。
「彼は彼の人生を背負ってきた。そこから出る音色というのは、ほかの誰も出せない音色なんですね。ヴァイオリンというのは不思議で、彼も言っていましたけど、みんなに“今に見ておれ”と思っていた時期の音はキツかったと。でも、いつまでもそれじゃいけないと思ったら、音が変わってきたと言ったときは感動しましたね。確かにそうなんです。私もそれは感じていました。彼の心の声が出ています。ヴァイオリンは正直なんです。
たいてい、ヴァイオリンを弾く子はいい家庭の子で恵まれていて、上げ膳据え膳で練習しなさいって言われるでしょ。そんな子が人の魂を揺さぶり、涙を誘うような演奏は絶対にできないと僕は思っています。音楽は心ですから。だから水晶くんのヴァイオリンが心を打つのはそういうことなんです」
津波ヴァイオリンと脳性まひのヴァイオリニスト。2つが聴く者の心をとらえて離さないのは、“希望の音色”が奏でられているから─。