「いちばん見たかった景色を見ることができて、ちょっと泣きそうだった」
平昌パラリンピックのアルペンスキー選手として出場した村岡桃佳は、3月15日の金メダルの授与式で、こう感想を話した。
「村岡選手は滑降で銀、スーパー大回転とスーパー複合で銅を獲得したのに続き14日に行われた大回転で金メダルに輝きました。日本選手団では第1号の金メダルであるとともに、日本選手として冬季パラ五輪史上最年少で頂点に立ちました」(スポーツ紙記者)
“快挙”を達成した村岡は、4歳のときに突然、両足が動かなくなる病気にかかってしまう。
「車イスが必要となってふさぎがちになる娘を見た父親が、“笑顔になってほしい”と、小学2年生のときに車イスのスポーツ体験会に誘ったことがきっかけで、車イス競技にのめり込み、のちにスキーも始めたそうです」(同・スポーツ紙記者)
彼女のことを「昔から運動神経がよかった」と話すのは、母校である埼玉県・正智深谷高校の小島時和先生だ。
「彼女が1年生のときに体育を教えていましたが、スポーツ全般が得意でしたよ。バスケもシュートがうまかったし、ダンスも足は使えなくとも、腕の動きだけでうまく行っていました」
村岡が2年生のときに副担任だった石川雄一郎先生によると、クラスメートとの人間関係も良好だったそう。
「車イスを使っていますが、周囲が気を遣うということはなかったです。彼女がそうさせなかったんでしょうね。クラスの中でも積極的に発言する“ムードメーカー”で、みんなからも“ももちゃん”の愛称で親しまれていました」
自宅近くにある中華料理店『美華』の成瀬潤子さんは、生中継をテレビで見て泣いてしまったという。
「桃佳ちゃんが小学生のときからうちに通っていただいていて、きょうだいで来たり、お母さんも一緒だったりまちまちでした。広東麺や餃子、野菜炒め、ニラレバ炒めなどをよく頼んでくれていますね。
桃佳ちゃんが偉いのは、ほかの人の邪魔にならないように、自分で車イスをたたんでから座敷に上がるんです。しかも、靴もきちんとそろえて。人を思いやることができる子で、私生活でも金メダルをあげたいですね」
同じく彼女を小学生から知る近所の主婦は、父親の“献身”に胸を打たれたと涙ぐみながら話してくれた。
「お父さんは会社を経営していてお忙しいそうなのですが、家の近くの公園で桃佳ちゃんに付き添ってトレーニングしているところをたまに見かけていました。そこでは健常者のお父さんも車イスに乗って、彼女と同じ気持ちになって伴走してあげているんです。なかなかできることじゃありませんよね……。スキーもお父さんが最初から教えていたようで、娘さんを全面的に支えていたんだと思いますよ」
世界の頂点に立つまで支えてくれた父親に、最高の親孝行ができたはず!