もちろん私が相撲を取ったのは両国・国技館の土俵ではなく、区立体育館の土俵や神社の土俵だが、私が相撲を取った神社の土俵は故・千代の富士の故郷にあり、夏には九重部屋の稽古場となる所だ。恐らくその間は女人禁制となるだろう。
私は差別主義者ではありません
またそれとは別に、私は何度か相撲部屋の千秋楽パーティーに参加したことがあるが、部屋によってパーティーは稽古場で行われ、そうすると普段は女人禁制である相撲部屋の土俵の上にブルーシートなどを敷き、そこで女性も男性もビール飲んでおつまみ食べて、やれやれお疲れ様でしたとねぎらいの会が催される。
私は足の下に土俵を感じながらも「ちゃんこもう一杯どうですか?」などと会話してきた。
何が言いたいか? つまり、土俵は女人禁制という伝統は、意外とそういうものだということ。そういう融通の利く、「まぁ、そうそう、そうだけどね、でもさ」というものだ。
今回は突然のことに慌てているうちに周囲の観客から「女性が上がってもいいのか?」と声が上がって、そんな余裕がなくなってしまったんだろう。ちなみに、もちろんだが、「第二十一条 土俵は女人禁制」などと相撲協会が登記する定款に書いてあるわけではない。
それなら、面倒くさい女人禁制などとっとと撤廃すればいいじゃないか? とおっしゃるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。
それでも特に国技館は別だ、本場所は違うと、そこで相撲を取るチカラビトたちが頑(かたく)なに守ってきた文化だ。そんな性急に、乱暴に、撤廃しろと迫るのはどうか? もうちょっと他人が大切にする文化というのものへの敬意、そこまでなくても、思いやりがあっても良くないだろうか?
「ナニ言ってんだ? おまえは差別主義者か?」
いえいえ、私は差別主義者ではありません。私がひたすらに強く願っているのは、とにかく今、この気運の中で急いで「女性も土俵に上がっていい」と明文化してほしくないということだ。今、性急にそれをやることを、絶対に避けてほしいとさえ願っている。
なぜなら? 今回のこの騒動だってそうじゃないか。
ネット社会を覆う強力な同調圧力。誰かが「こうだ!」と大きな声を上げたら、一気にそれが正義となって、「そうだそうだ!」と広がっていく。
しかも不寛容で、何か落ち度を見つけると徹底的に叩く。完膚なきまでに叩きのめし、決して舞い戻れないほどにする。