簡単に相撲の文化・伝統を変えてほしくない
さらに大相撲のような、スポーツなのか伝統芸能なのか、神事なのか、興行なのかよくわからない「あやふやなもの」は「排除します」の理論にどんどん進む。「二元化」が加速され、善か悪か、正しいか正しくないか、必要か不必要か。現代の概念とやらに当てはめて、そのどちらにも属せず、ふわふわとよく分からないものは駄目の烙印(らくいん)を押して、排除してしまう。
そんな気運の中で、それに押される形で、相撲の文化、伝統を変えてほしくない。
今、大声で怒ってる人たちの大半は普段、相撲を見ない人だろう。相撲の歴史も、どうやって相撲文化を人々が育んできたかも、何も知ろうともしないで(ファクト・チェックはどうなってるんですか?)、ただただ、この「女性は土俵に上がれない」という事象のみを取り上げ、「差別だ!」と怒りの鉄拳を振り上げ、廃止させようとしている。
そんな流れの中で、大好きな相撲の文化が崩されていくのを、相撲ファンとして私は見たくない。同時に、そういう二元化の気運をさらに大きくしてしまうきっかけを、この相撲の女人禁制が作ってしまうことを恐れている。
あやふやな分からないものはどんどん排除しよう、許せないものは徹底的に叩こう、間違いは正すのだ、絶対に! 大声で! 力ずくでも!
そういう事実を、ここで作ってほしくない。それはとても怖いことだ。
それでも、いつか女人禁制が解かれるだろうと私は思う。その伝統の根底にあるのが女性が穢(けが)れとされた神道の思想や、江戸時代から相撲場では女人禁制だったというようなことだけなら、そういう流れになるだろう。
1978年わんぱく相撲東京場所で、女の子が国技館での決勝大会に出場できなかったそうだが、例えば数年後、「あれ? 女の子が決勝大会に出てるよ!」とわんぱく相撲大会でみんなが驚く、ぐらいの感じならいいかもしれない。みんなが忘れた頃(みんなすぐ忘れるし)そうやって、自然に女の子が国技館の土俵で相撲を取っている。それなら歓迎したい。
すでに八角理事長はたとえ国技館だろうがどこだろうが、緊急時には女性が土俵にあがるのは問題ないと言っている。今回のことは深くお詫びしている。今はそれで十分じゃないか? その後のことはもっとゆっくり時間をかけて話し合えばいいじゃないか? たとえば国技館にアンケートボックスを置いて、ファンがそれに思いを書いて投書していくとかはどうだろう? そうすれば、本当の相撲ファンの気持ちも分かるだろう。
去年の秋から相撲は叩かれ続けている。それでも相撲は粛々と行われ、先場所は横綱・鶴竜が優勝した。昨年は長らく怪我に苦しみ、引退と言われていた彼の復活優勝にファンはみんな涙した。
「相撲なんてなくなれ!」「相撲なんてもう見ない!」「相撲ファンは頭おかしい!」と今回も極端な言葉がツイッター上に見受けられたが、そうした中でもコツコツ日々厳しい稽古に励む若者たちがいること、忘れてほしくない。
和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。