「子どもがまだ小さい。急に熱を出しますので、病院がないと生活が難しいですね。町はインフラがまだ整っていませんし、スーパーもありません。戻るかは迷いますね」
確かに子どもたちはほとんど戻っていない。町では4月、なみえ創成小中学校が開校した。新入生を合わせて小学生は8人。中学生は2人だ。
「配達や集金のときに、密に接することができますし、配達はパトロールにもなります。お客さん同士の情報のかけ橋になりたいです。復興の役に立てればいいですね」
人が住める街になってほしい
町に戻るしか選択肢がなかったという人もいる。行政区長会長を務める佐藤秀三さん(73)は、町役場が避難するたびに同じ場所に移動してきた。そこで自治会を立ち上げることもあった。
避難先でも、いつか町に戻ろうと思い、震災翌年に開かれた復興祭でも、「町に愛着を持ち続けてください」と挨拶していた。山も川も海もある豊かな自然環境。雪がほとんど降らない温暖な気候。
さらには小さいころに遊んだ記憶が、佐藤さんの「町に戻る」という意思を支えた。
最大の悩みは、原発事故で避難を経験した人に共通だが、放射線被ばくのリスクだ。
佐藤さんは「小さい子どもがいたり、妊娠していたり、これから子どもをつくる世代は心配だと思う」と言いつつも「リスクのとらえ方はそれぞれ違う。戻ってくるなら納得してからきてほしい」と話す。
区長としては、これまで住民のつながりを維持しようと手紙を出したりしている。
「中心市街地の住民からはなかなか返事が戻ってこないですが、農村地域は(共同作業をする)“結い”が残っており、集まりやすい。震災後、勉強会を開いたりしました」
若い世代を中心に新しい住民が根づくことも期待する。
「県外から、大学生など若い人たちがボランティア活動に来ている。浪江に関わりたいという人もいて、実際に、仕事に就いています」
佐藤さんの願いは「町に人が住めるようになること、立ち寄れるようになること」と話す。避難が解除になったら戻りなさいというのではない。放射線量が下がることだけでなく、インフラなどの整備と医療の充実が不可欠だ。
一方、同原発が立地する双葉町は'22年春、一部が「特定復興再生拠点」となり、避難指示が解除される予定だ。