近隣住民らが見守っていたプライベート
歌い続けることが、彼のいちばんの願いだった。自宅近くでは、元気に散歩する姿が見られていた。
「10年前くらいにご家族で引っ越してきました。当時は常に杖をついていましたが、5年前くらいには状態がよくなったのか、杖なしで外を歩いていましたよ。公園で会うと、気さくに“こんにちは!”と挨拶してくれましたね」(近隣住民)
車で10分ほどの場所にあるラーメン店『K』にもよく足を運んでいたという。
「周囲のお客さんが気づいて話しかけると気軽に握手してあげていて、フレンドリーな方だなと思いました。オーナーは訃報を聞いてとても落ち込んでいて……。
西城さんが亡くなった日の営業前には、ラーメンを作って、彼がいつも座っていた席のテーブルに置いてお供えしたんですよ」(『K』の店員)
近隣のジーンズショップ『R』にも通っていた。
「自然で気取ったところがない人だったね。ジーパン、Tシャツ、シャツ、ジャケットいろいろ買っていただいて。おかげでポイントカードが何枚も貯まっていましたよ(笑)」(『R』の店長)
意外にもサッカー好きな一面があり、川崎フロンターレを応援していた。
「ホームスタジアムの等々力競技場で『YOUNG MAN』を歌ってくれました。今年の夏もまたスタジアムが一体になる“YMCA”が聴けると思っていたのですが……」(フロンターレのファン)
昨年10月17日に『中野サンプラザ』で行われたライブでは、体調が優れなかった。
「ライブ中はほとんど座っていました。それでもファンから“ヒデキがんばれ~!”と声がかかると、片手を挙げて“オー!!”とうめき声のような力強い声を聞かせてくれました」(ライブに来たファン)
終わったあとの楽屋でもずっとイスに座ったままだったという。
「つらそうでしたが、何十人もの楽屋見舞いに嫌な顔も見せず写真撮影に応じていました。いつも奥さんがつきっきりでサポートしていましたよ」(レコード会社関係者)