「客観的に見たら、ミイラですよね。それでも、自分では高校生活を楽しんでいるように錯覚していました。朝はゆでたキャベツを食べて、自宅から最寄りの駅まで3キロほどの道のりを教科書が入った重いリュックを背負い走る。
部活はバドミントン部に入って筋トレやランニングに精を出しました。最小限のカロリーで最大限の消費をすることが最重要。精神状態は完全におかしくなっていました」
食卓でも、少しでもカロリーの高いものが皿にのると、母親を口汚く罵倒した。
「なぜ私だけ太らせようとするんだ。おまえが食べろ!」
そんな彼女を母親は大学病院の精神科に連れて行こうとしたが、奈央さんは絶対に病気と認めようとしなかった。
「だって、私は学校に行って動いてカロリーを消費しなければならなかったから」
いつだって強烈な不安感に襲われていた
それほどまでに「変えたい」と切望した奈央さんの人生は、幼いころからずっと「違和感」でしかなかった。
「ここではないどこかに、自分が自分らしく、何の陰りもなくイキイキと生きられる場所があるはずだ、とずっと思ってきたんです」
1979年、東京都狛江市で生まれた奈央さんは、大学教員の父と専業主婦の母、1歳上の兄という4人家族のもとで育った。
「小さいころの私は極度の人見知りで、母親にしか懐かない子でした。近所の子はもちろん、いとことも遊べなくて。ひとりで家にいて絵を描いたり、物語を作ったり。想像の世界にいるのが楽しかったんです。そこでは、たくさんの人に囲まれて好かれている自分をイメージしていました」
その幼い心にいつもあったのは、強烈な不安感だった。
「うちの母親には宗教という強く信じるものがあり、それを父親が受け入れていない、という不穏な気配をいつも家庭の中に感じていました。その対立がいつ大きな亀裂になって大ゲンカになるか。子ども心に不安で悲しくて。
私はお父さんもお母さんも好きだけど、どっちの味方でいたらいいんだろう? お父さんの味方をしたら、お母さんは悲しむかな? って」
また、自分の家族が地域から浮いているのを肌で感じて、いつも家族のことが心配でたまらなかった。