実の父親から「死んでもかまいません」
入って1か月がたったころ。ハンガーストライキを続け、とうとう命が危ぶまれるほどになったとき、小野瀬さんが彼女の両親に「どうしても帰りたいと言っている」と電話で伝えることとなる。
「これでさすがの両親も帰ってこい、と言うだろうと思いました」と、奈央さんは言う。
「ところが、父ははっきりと言ったそうです。“死んでもかまいませんから置いてやってください”。なのはなのお父さんが“本当に死んでもいいんですね?”と念を押しました。私がこのまま治らずに帰ったら家族全員が共倒れで地獄に行く、父にはそれがわかっていたのだと思います」
そのときのことを、小野瀬さんもよく覚えていた。
「奈央の父親に“治らないまま死んでも文句は言いません”と言われて、とことんまでいこうと思った。内心は不安でしたよ。でも、それを絶対に見せちゃいけない。奈央と僕の真剣勝負ですから」
施設で死者を出せば、刑事責任に問われるかもしれない。その高いリスクを背負ってまで、自分が摂食障害から治ることを信じてくれている。「お父さん」と「お母さん」の揺るぎない覚悟に、奈央さんの心は大きく揺れた。
「それでも私は家に帰らせてほしいと訴え続けたんです」
そして、その半年後の12月25日のクリスマス。両親が施設に来ることになる。
「帰らせて、と泣いてすがる私に、父は断固として“絶対に帰らせない”と言い、母はとても悲しそうにしていました。こんなことは初めてでした。私は本当に親に捨てられたんだ、どこにも帰る場所はないんだ、と理解しました」
実はそのとき、小野瀬さんは彼女の父親に「トドメを刺してほしい」と伝えたのだという。
こうして断末魔のごとく苦しみ、もがき、奈央さんは30歳を目前にして、その人生にしぶとく絡みついていた親子の依存を手放す道へ歩み出した。それは「摂食障害からの回復」という一本道だった。