青森県野辺地町出身で、同県史上初のワールドカップの日本代表に選ばれた柴崎岳。
「初めて見たのは、岳が小学4年生のとき。そのころから地元の大人たちが“あの子が柴崎くんだ!”という感じでみんな騒いでいました。“天才”として有名だったので」
そう話すのは、野辺地町に隣接する六ヶ所村出身で、柴崎の1歳年上の助川義典さん。
「僕は隣町に住んでいたので、よく対戦していたんです。3人で囲んでもボールを取れなくって。岳によく点を取られて、勝つことができなかった」(助川さん、以下同)
その後、助川さんは柴崎と同じ青森山田中学・高校のサッカー部でチームメートとなり2人はともに寮で過ごした。
「岳は高校1、2年のとき、僕らの代のキャプテンと同部屋だったのですが、僕がその部屋に『ウイニングイレブン』というサッカーのテレビゲームをよくやりに行ってたんです。消灯時間は午後10時半だったんですけど、その部屋に9時ごろ行くと彼だけすでに寝てるという感じでしたね」
日本代表では常に冷静沈着な司令塔として活躍している柴崎だが、学生時代からすでにクールだったという。
「彼があんまりはっちゃけるようなことはなかったですね。寮の決まりで外出していい時間があって、そのときはみんなカラオケやゲームセンターに遊びに行くんです。でも、彼がそういうことに参加するのを見たことはありませんね」
中・高の6年間、彼を指導してきた青森山田高校のサッカー部監督・黒田剛さんも、
「あんまり多くをしゃべるほうではないし、自分からバカをやったりふざけたりするタイプでもなかった。中学生は寮生活を始めると、比較的ホームシックになりやすいんですが、彼はまったくなかった。親ともほとんど連絡をとらない子で、岳のお母さんは“何の連絡もよこさない”って嘆いていましたよ」
そんな柴崎が感情をあらわにしたことがあるという。
「中学2年生のとき試合に負けたあと、スタジアムの階段の下で隠れて泣いていたことがありました。他人に見られたくないからって、表彰式に出ないで泣いていたんです。普通、表彰式には出るでしょ(笑)。それぐらいの負けず嫌いなんですよ」(黒田監督)
涙の数だけ、サッカーの天才は強くなっていく─。