初任給の使い道

 最後まであきらめない石巻工ナインの姿勢に胸を打たれ、'13年にプロ初任給の月額50万円を全額、同校に寄付することを決めた。0円生活を送ることについて柿澤容疑者は「2月にはキャンプにも行くし使うことないです」と笑ったという。

 これに感激したのが、石巻工を甲子園に導いた松本嘉次監督(現在は別の公立高の監督)だった。『週刊女性』記者が'13年2月に被災地取材で訪ねたとき、うれしそうに次のような話をしてくれた。

東日本大震災の津波で浸水した石巻工のグラウンド='11年撮影
東日本大震災の津波で浸水した石巻工のグラウンド='11年撮影
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「新聞記者から電話が来て“柿澤選手が初任給を石巻工に送りたいと言っている”というんですよ。のし袋に入った給料が送られてきて、表書きを見たら『感謝』と書いてあった。18歳でフツーそんなことできる? ほかにも感謝したい人はいっぱいいるだろうに、なんていうか、もったいなくて手をつけたくない。正直使いたくない」

 同校のグラウンドは震災で水浸しになり、監督、選手らで黙々と再整備して甲子園出場をつかんだ。口に出せない苦労も多かったはずだが、復興支援の恩返しのためにも全力でプレーし、その気持ちは対戦校の選手にも伝わった。柿澤容疑者の寄付のエピソードはその象徴だった。

 事件を受けてどのような思いを抱いているのか、気が重かったが、コメントをもらうために松本監督に電話した。

「私も心情的に結構ショックを受けていますので、ご勘弁ください」

 受話器の向こうの困ったような表情が目に浮かんだ。

 松本監督は'13年の取材時にはこんなことを言っていた。

「柿澤選手が1軍に上がったら、みんなで応援に行きますよ。早くその日が来るよう楽しみにしています」

 石巻工関係者が打ち明ける。

「柿澤選手が楽天の2軍時代、松本監督は個人的に何度も球場に足を運び柿澤選手の活躍を見守っていた。当時の石巻工ナインやほかのOBも同じ。試合で柿澤選手が打つと飛び上がって喜んでいた」

 寄付金は同校グラウンド入り口の「甲子園出場記念碑」の建立費に充てられた。罪を償い、どんなにつらくても人生をやり直すことをあきらめないでほしい。