「申し訳ありません。まだ心の整理がついていませんので、申し訳ありませんが……」
東京拘置所で7月6日に死刑が執行された土谷正実元死刑囚(享年53)の母親は同31日、小さく消え入るような声でインターホン越しに話した。
執行直後に訪ねたとき、名乗っただけで窓をピシャッと閉められた。そこで取材の意図を綴った手紙をポストに投函し、再訪すると、冒頭のように丁寧に答えたのである。
死刑囚らの家族はいま
土谷元死刑囚は、地下鉄サリン事件などで死者29人、負傷者6500人以上という戦後最大級の集団無差別殺傷事件を起こしたオウム真理教に出家し、大量殺戮兵器のサリンなどを製造した幹部だった。遺骨は実家へは戻っておらず、獄中結婚した一般人の妻が引き取ったとされる。
実家は東京都町田市の郊外にある。約50年前に一戸建てを購入した両親と3人の子どもで暮らしていた。
しかしーー。
「地下鉄サリン事件の直後に父親は体調を崩して60歳ぐらいで亡くなり、弟や妹も幸せになったとは聞いていない。妹は一時、海外へ渡っていたけどね。かわいそうだから、そっとしておいてあげて」
と近所の主婦。
現在は母親ひとりでほとんど外出せず、買い物も配達してもらうなどして、ひっそりと暮らしているようだ。
「わが子が死刑になったのだから、悲しい気持ちぐらいは公言してもいいんでしょうが、事件の犠牲者やいまも苦しんでいる被害者のことを考えて、発言を控えているんでしょうね」(近所の男性)
また、地元の中学時代の同級生は、「土谷はとにかく頭がよかったのに、こんな亡くなり方をするなんて」と、早世を惜しんだ。
7月6日には、教祖だった麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚(享年63)と土谷元死刑囚など幹部7人の刑が全国4か所の拘置所でいっせいに執行された。
「東京拘置所には報道陣が詰めかけて騒然としたが、正門が見える遠めの場所に麻原の写真を置いて、缶チューハイを供えてお祈りする男性もいた」(大手新聞社の記者)
オウム真理教の流れをくむアレフの施設周辺はいまだ厳戒態勢だ。東京都足立区入谷の本拠施設近くの住民は言う。
「施設は約8年前にできた50人ほどの出家者の宿泊所兼道場です。執行後は特に不審な動きはないけれど、やはり住民としては気持ち悪いですよ。休日には右翼の街宣車が来て“人殺しは出ていけ!”とやっていますしね。
子育てには最悪の環境なので、子どもの数がどんどん減って、近くの小学校は廃校になったし、施設のせいで地価が暴落しているので出ていこうにも家が売れない。最悪です」
と話す。