清原は、バイト初日から中絶手術で掻爬(そうは)した胎児のかけらを集める仕事を任される。子どもを欲しいと思ったこともまだないし、母性とはいったいなんなのか、答えも見つかっていない。

 つまり、大多数の正義で物事を決めつけて判断するほど世間体に毒されてもいないし、心も汚れていない。だからいいのだ。母性という言葉で女性たちが罪悪感や息苦しさを感じている今、このドラマの意義はとても大きいと思う。

想像力を身につける

 毎回、さまざまな妊婦が登場するのだが、産む前の葛藤と苦悩、産んでからの大きな壁、正論をふりかざさない構成が秀逸である。

 初回は、中絶手術を泣きながら受ける女性と、不倫の末に妊娠した未受診妊婦(演じるのは安藤玉恵)の話だった。祝福されない妊娠出産の厳しい現実である。産んだ子がきゅっと握る「把握反射」で育てていく決意をする安藤。

 しかしその後の検診にくることはなく、新聞で赤ちゃんが亡くなったことが報じられる。世間は赤子が亡くなると「虐待疑惑」の一辺倒になるのだが、清原は違う捉え方をした。

 慣れない子育てで疲労困ぱいした安藤が、授乳中に寝てしまい、赤ちゃんを窒息させてしまったのではないか、赤ちゃんは母の愛情に包まれて亡くなったのではないか、と想像する。ただただ母親を責めて苦しめるだけではなく、慮(おもんぱか)る想像力が大事なのだと教えてくれる。

 2話では、1型糖尿病で出産が命の危険に及ぶと診断された妊婦(平岩紙)と、自宅風呂場でひとりで産んで、捨てに来た女子高生妊婦(蒔田彩珠)の話だった。

 それでも産みたいと願う平岩に、クリニック院長の瀬戸康史は「出産はあなたの存在意義を確かめるものではない」とあえて厳しい言葉を伝える。

 平岩は「子どもを産めば自信がもてるんじゃないかと思う、自分のエゴだった」と反省するも、やはり産むことを決意する。瀬戸は大きな病院で万全の体制を築けるよう動き、平岩の出産をサポートする。出産は皆が思うほど安全なことではなく、命がけであることを暗に示しているのだ。