玉音放送を聞きながら、仲間と抱き合って号泣した
玉音放送は皇居近くの本部で聞いた。隊は皇居前の広場に移動、外間さんはそこで仲間と抱き合って号泣した。周囲は泣き崩れる兵隊や市民でごった返していたという。
「隊長から“敵が上陸してくるから髪を切り、男の格好をして避難しろ”と言われました。家は空襲で全焼し、家族は山梨に疎開していたので私もそこに向かいました」
外間さんの戦争は終わった。
「私は任務に誇りを持っていました。兵隊は敵を殺しますが、私たちはみんなを守る、命を救うのが任務です。少しでもお役に立てたかな」
戦中・戦後、今の高校生と変わらない年ごろだったが、生きることに必死だった。
「青春なんてありませんでしたよ。おしゃれや恋愛どころではありませんでした」
それでも女学校1~2年のころはまだ平和だったという。
「友達と映画に行ったり、人気の俳優さんの話をしたり。私は運動が得意だったので運動部の助っ人もしていました」
淡い思い出もあった。
「女学校近くで訓練をしていた陸軍の軍人さんたちと親しくしたことがあります。手紙のやりとりも何度かしましたが、いつの間にか途絶えてしまった。あの方たちもどうなったかはわかりません」
背中を押した先輩の言葉
戦後は小中学校の体育教師として働きながら子育てし、今も現役でフラダンスやフォークダンスなどを教えている。
毎年5月、部隊は慰霊祭を行っているが参加する元隊員は外間さんただ1人に。慰霊祭の継続や女子通信隊の戦争体験の継承が課題だという。
外間さんが戦争体験を語りだしたのは2年ほど前から。背中を押したのは同じ隊の先輩、故・山口竹尾さんが年賀状に添えた“最後の一兵がんばれ”という言葉だ。
「慰霊を続け、みんなのことを伝えていきたい。機会があればほかの地域の元女子通信隊員とも話したいですね」
戦友たちの思いを胸に外間さんの活動は続く。