西日本豪雨の発生から2か月が過ぎた。被災地は現在、どうなっているのだろうか。とりわけ大きな被害を出した岡山県倉敷市真備町を訪ねた。
8月半ば、現地ではテレビで見たがれきの山はほとんど撤去され、ところどころに新たながれきが積まれていた。生活感は、ほとんど感じられない。家の中に風を通すためなのか、浸水した住居の1、2階の窓がすべて開放されていた。
市内24か所の避難所では現在、913人の被災者が暮らしている(8月29日時点)。そのうちのひとつ、市立薗小学校の体育館では37世帯、74人が避難生活を送っていた。
平日午後の時間帯、若い人たちは仕事や自宅の片づけに出かけているのだろう。体育館にいるのは、お年寄りや夏休み中の子どもたちだけだ。
倉敷市市民局男女共同参画課で避難所を担当する、三谷潤二郎さんが言う。
防災意識の低かった地域
「避難所にいる人たちは一時期の半分以下になりました。災害直後から、全国からたくさんの方がいろんな知恵を持って来てくださいました。設置されている段ボールベッドもそのひとつ。この導入は倉敷市が全国で初めてだったのです」
ちなみに段ボールベッドは、中に荷物も入れられる。体育館の床に直接寝るより起き上がるときの負担が少なく、ホコリを吸ったりしないため、体調不良になりにくいと好評だ。
「被災地になるのも、避難所を運営するのも初めてのこと。降雨量が少ないため “晴れの国・岡山”を県の標語にしていたくらい、防災意識が低かった地域なんです」(三谷さん、以下同)
災害発生から時間がたち、被災者のニーズも変化していると三谷さん。
「最初は水や食料など、生きるための物資が必要とされていましたが、時間がたつにつれ、片づけのためのスコップにかわり、今では汚泥をかき分けるため熊手のようなものが欲しいと変化しています。涼しくなってくると、今後は長袖のシャツや厚手の布団が必要になるでしょう」
仮設住宅の建設も始まり、入居の抽選も終了した。260戸が建設中で、追加の建設も予定している。