校長が病院に来たのは16時ごろだった。救急搬送されてから7時間がたっていた。容子さんは校長の言葉を今でも忘れない。
「今回は残念なことになりまして……」
謝罪の言葉ではない。違和感を覚えたが、学校も市教委も、ケガをした息子の味方だと思っていた。
謝罪なし、口封じを迫る学校へ募る不審
当時、体育館にいた生徒には学校側から事故について話があったが、生徒全体への説明はなかった。容子さんのもとへ、詳しい事情を知らない保護者から“大丈夫?”とのメールが届くようになる。両親は学校に「全校生徒に(事故概要を説明した)プリントを配布してください」と願い出た。
文部科学省は「学校事故対応に関する指針」を'16年3月31日に通知している。それによると、学校管理下の死亡事故、あるいは、30日以上の治療が必要な負傷や疾病を伴う重篤な事故の場合、原則として3日以内に学校が基本調査を行うことになっている。また、最初の説明は、調査から1週間以内が目安とある。
両親が願い出たにもかかわらず、校長は「学校からは説明しません。知りたい場合は、校長室に電話をすればいい」と断ったという。
公になってほしくない姿勢は、ほかの言動でも見え隠れしていた。
「公表しようと思ったときも、校長先生は“公表しないでください”と言ったんです。私が“公表したいです”と言っても、校長先生は“公表しないで”の一点張り。公表しないと言わなければ帰してくれない雰囲気でした」(容子さん)
結局、6月の保護者会では篤志さんが前に出て、事故の経過やケガの様子について話した。
その後、調査のため「学校安全部会」が7月11日、事故から2か月もたって設置された。どこまで何を調査するのか、調査の方法、部会メンバーの選定に関して、両親の意向は考慮されなかった。