「美しくない履歴書」
もっと大きな世界を見たい。とにかく福岡を出よう──。彼女は上京し、錦糸町の雑居ビルのドミトリーに住み、派遣の販売員として働きに出た。
百貨店の婦人服売り場の販売員に始まり、パソコンの販売員、ウエートレス、工場内軽作業、コーヒーショップの店員、外資系企業での外国人上司の秘書、電気店でのインターネット回線の販売員、ホームページ制作会社の営業、ヨガスタジオの店舗開発管理……。上京1年後には、さまざまなスキルを身につけ、900円だった時給は1800円になっていた。
新しい仕事を始めるたびに、最初の3か月は全力投球。ある程度その会社での仕事が身についたと思ったら「卒業」を繰り返し、職を転々とした。
「学歴がないぶん、どんどん稼ぎ口を増やさなければ、という焦りもありました。でも、これは私にしかできない仕事じゃないと思っちゃう。私の本業は何だろう、と悩みながらさまざまな仕事にチャレンジしていました」
同じ場所で仕事を続けられないのは、学歴のない自分は昇進も昇給もないだろうと思い込んでいたからでもあった。
「大卒には負けられない、という思いが常にあって、がむしゃらでしたが、現実は厳しいことも思い知らされました」
東京は実力主義だと思っていたが、大手になればなるほど学歴主義があからさまで、入社どころかエントリーすらできない企業もあった。20代前半で数え切れないほどの仕事を経験し、みどりさんの履歴書はお世辞にもきれいとは呼べない代物に仕上がっていた。
さらに、短大中退以降の学歴にも続きがあった。
「営業職をしているときに、自分が世の中のことを何も知らないと痛感して、放送大学に入って一般教養を勉強したけど、1年で中退。23歳のときには、社会人入試で駒澤大学の社会学部に入学したんです」
のちに国際政治に興味を持ち、駒澤大学も中退。今度は慶應義塾大学の通信教育課程で学ぶ。しかし結局、ここも中退してしまう。
「大学をやめるたびに自己否定を重ねていきました。そして、どんどんこじれた経歴ができあがってしまったのです」