「アッコがいるから大丈夫」
映画『徘徊』の撮影と公開から、もう3年。
今ではアサヨさんは、通い慣れたデイケア施設に毎日行き、家では章子さんの手から大好きなプリンを食べ、母子2人と猫の、穏やかで普通の時間が流れる。
「映画を撮ったあとぐらいから、みるみる徘徊が減って。
これは母の老いプラス認知症が進んだからです。今は完璧に過去の記憶がない。過去に惑わされたり未来を憂えたりがなくて、今を生きている。これは極めて幸せな状態です。
普段は歌を歌ったり、自分のひとり言に自分で答えたり。子どもに返って小学生みたいになっているから、可愛らしいですよ」
今、ようやっとそう言えるようになった。
章子さんがあの壮絶ともいえる徘徊介護を耐え抜けた理由を、前出の中村ケアマネージャーがこう分析する。
「章子さん自身もおっしゃっているように、自由業で比較的時間の自由がきくというのもあったと思います。ですが、本質的にポジティブな人なんですよ。深夜について回るのも、“ダイエットにつながるからいいわ”というように。
そういう性格だからやれた。
彼女の介護も、これからは街に認知症の人がいっぱい出てくる時代になりますから、ひとつのやり方としてはありかなあと思います」
リヴォリの堀敬治さんは、「もともとの性格というか、根が優しいのと違います? 歩き方もしゃべり方も竹を割ったようにシャキシャキとされているけど、迎えにこられたときも、優しいですよ。“はよ、帰れ!”と言って引っ張ったりは、絶対にされない。
アサヨさんも道を聞くときには“あれはどう行ったらいいですか?”と、やはりパキパキと聞かれて。母子、似ていると思いますわ」
『徘徊』を撮影し、レンズを通して2人の関係を見つめた田中幸夫監督(66)は、こう喝破(かっぱ)する。
「アッコさんは20~30代のときメチャ遊んで仕事して、一生分のことを全部しているんです。後悔することがないから、できたんだと思う。
(電話をガチャ切りされても受け入れたのは)親子の愛憎というのは、常に100%愛しているわけでも、憎んでいるでもない。揺れ動きがあるのが親子関係。その中で覚悟して、ひとたび決断したらそれを貫く。これは彼女の美学なのかもしれないけれど、そこが彼女の人間として信頼できるところでもある」
当の章子さん自身は、介護のモチベーションを保つためにこう考えたという。
「私が知ってる母は鬼親やったけど、おぎゃあと生まれてからお乳を飲ませておしめを替えて物心つくまで、それは私を慈しんで育てたはずで、10年ぐらいは母がいなければ生きていけなかったんですよ。
だから10年間は面倒みようと決めたんです。10年みたら、お互いプラスマイナス0になる、と」
そう語ると章子さんは、この上なくうれしそうな表情でノートを取り出し、2年ほど前、ちょうど症状が穏やかになり始めたころに書きとめたという、アサヨさんの言葉を読み上げてくれた。
《─私は頭が悪いんです。お馬鹿なんです。すぐになんでも忘れるんです。(中略)。私は忘れても大丈夫なんです。アッコがいてくれますから。私は、“忘れ人さん”なんです─》
“アッコがいるから大丈夫”
恩讐(おんしゅう)を忘れて介護に挑んだ娘の地獄と、聡明だった自分の、記憶が消えゆく母の地獄。
この言葉こそが、そうした地獄をくぐり抜け、章子さんが手にしたなによりの賜物(たまもの)であり、2人がたどり着いた境地なのだ──。
(取材・文/千羽ひとみ 撮影/吉岡竜紀)