体操着で先輩と血みどろの決闘
中学卒業後は「普通科より自習時間が多そう」という理由もあって私立高校のデザイン科に入学。直後、五十嵐さんは「死ぬかと思った」という血みどろの決闘をする。その学校は大阪府内のワルというワルが集まってくる「ワルのチャンピオン高校。漫画の『ビー・バップ・ハイスクール』のようだった」と振り返る。
「1年狩り」という悪しき伝統があった。3年生が1年生を締めるのだ。同級生から「次はデザイン科らしい」と聞いた五十嵐さんは「そんなグダグダ言わんと、さっさといちばん強いやつが来いって言うとき」と啖呵を切った。
そして3年生がやってきた。
「あつらえたばかりの制服が汚れるのは嫌だったので体操着に着替えました。中学のときも先輩からいただいた制服だったので、ケンカのときのユニフォームは必ず体操着」と五十嵐さん。そのため体育の授業で体操着に着替えただけでも、同級生たちは「何か起きるで」と緊張した。
15分に及ぶ公開決闘は決着がつかず、「これ以上続けたら死んでまうわ」と周囲が止めた。そして、後味が悪い結末を迎えることになる。
「その3年生が退学したんです。メンツが立たなくなったと噂(うわさ)されました。そればかりではないと思うんですけど、私にしたら“なんで?”ですよね。でも、そこから1年狩りもいじめもなくなり『学園天国』になりましたから、先輩と私の決闘も無駄ではなかったんでしょうね」
このころ「ヤンキーが歌うって、恥ずかしい」と思っていた五十嵐さんも「みんなの前で歌いたくなった」のだろうか、中学と高校の同級生で、今は『美紀』のカフェ営業を任されている玉木宏司さんに「あること」を頼んだ。
「あまりに怖い存在だったので中学のとき接点はありませんでしたが、高校のとき僕は軽音楽部に所属していたこともあり突然、“ギター弾けるん? うち、歌上手やから弾いて”と彼女と友達が来ました。そして“文化祭で歌うから”と、あみんの『待つわ』を練習しておくように命令されたんです。僕は一生懸命に練習しました。しばかれたくないので(笑)。だけどその後、彼女が僕を訪ねてくることはなかったです」
そのことを五十嵐さんはまったく覚えていなかった。
「確かに『待つわ』は、通っていたスナックで女友達とよく歌っていました。だから、歌いたくなったんでしょうね」と笑い飛ばす。気の毒なのは恐怖の日々を過ごした玉木さんである。
しかし玉木さんはいい人である。卒業後、同窓会で五十嵐さんがジャズシンガーになったことを聞きCDを購入。松田聖子のような声でジャズを歌っていることに驚いた。しかもジャケットには「エンジェルボイス」の文字。「エンジェルって……彼女、デビルやのにね」と苦笑する。